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まどフィンの『ぴよぴよ漂鳥』 2008年1月26日 須賀敦子とナタリア・ギンズブルグ 〜『ある家族の会話』を読んで 6〜 |
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| 小学生の頃、家にあった文学全集を乱読したことがあった。全部読みきった本というのは数冊しかなかっただろうが、掴んでは投げる勢いで読んだことがあった。私の父や母が子どもだった頃、個人の本屋が日本文学選や世界文学選といった全集の購入を勧めに営業に回ってきて、月賦で購入し、月一で一冊ずつ届いていたそうだ。ただ、家族の中によっぽどの本好きがいない限り、届く本すべてを読む人間はおらず、それはむしろ戦後の混乱期を抜けたばかりでそれほど豊かでない家庭においての、教養の偶像であったようだ。中には、青春時代にそれらの本を手遊びにめくり、偶然に心打たれることもあったようだが。私が生まれたときにはもう倉庫の中の古めかしい書架に埃をかぶって置かれていたそれらの本の切れ切れのエピソードを、(それは切れ切れにしか読んでいない証でもあったが)読んだ当時の思い出と綯い交ぜにしながら母親が話すのが、ちいさな頃好きだった。乱読した動機は、別に知識欲ばかりではなく、ほとんどが自分の生まれるよりも前に時間があったのだということへの声には出せない驚きと、その時間の手触りを感じたかったからだ。自分が生まれる前にも今と変わらず時間があり、流れていたことなんてどんな子どもでも知っていて、友達にいったら笑われるだろうことはわかっていた。でも、古い本が並んだ倉庫や学校の図書館の薄暗闇にはその時間がまだ浮遊して残っていて、それらの本を手にとって読めば、浮遊する過去の時間を捕まえられる気がしていた。子どもの頃、私がひとりでいるときに夢想していたことはそんなことばかりだった。幸いというのだろうか、わたしの生まれた町は、数十年前に閉山した炭鉱の街で、かつて石炭を運んだトロッコの線路や炭鉱住宅の跡、泥炭と石炭をわけたレンガ造りの建物が朽ちて、たくさんの薄暗闇を含んでいた。じぃっと見つめて、なんだか違う手触りというか心触りのものをさがすのが好きだった。それらの薄暗闇のなかには、確かに違う時間の流れが存在していた。子どもの頃の目は、不思議だ。なんの変哲もない町の風景の中に、様々なものが見えている。炭鉱の廃墟は、いつの間にかアイルランドの古城になっているし、その先に見える春の午後の雲は、ロマン主義時代の舞台の書割の雲で、古い公民館の木漏れ日の揺れるながい廊下にはどうも数十年前の時間がうろうろしている。今ではその遊戯のルールを随分と忘れてしまったが、今でも本当に心の安らぎを覚えるのは、一瞬その遊戯に戻れたときだ。いつのまにかルールは失われたが、浮遊する様々な時間は今も変わらず世界のあちこちにひそんでいるはずである。あの頃は小さな町が世界のすべてで、今は多分火星のちょっと先くらいまでが世界のすべてになっているだけだから。 高校生のとき海外で出会った大学生のお姉さんが、よく私に、わたしたちどうやって日本語話せるようになってきたと思うと尋ねた。そのお姉さんは、きっとその秘密がわかれば、苦労している英語の勉強が、きっと嘘のようにすんなりできるはずだと信じていた。わたしも、未だに日本語を学んできたというのはどういうことだったのだろうかというのを考えることがある。 『ある家族の会話』と須賀敦子の訳を照らしながら読んで、ああすごいなとつくづく感服した一節がある。主人公の母は、自分の子どもの頃に起こったことをよく覚えていて、それを子どもに聞かせてくれるのだが、その一節にこういうものがある。 “Aveva visto un giorno, camminando per strada, a Milano, quand’era piccola, un signore impettito, immobile davanti a una vetrina di parrucchiere, che fissava una testa di bambola, e diceva tra sé: - Bella, bella, bella. Troppo lunga de col.”【註1】 『母が子供のころのある日、ミラノの道を歩いていたら、気取った紳士がひとり、美容院の飾り窓の前に立ち止まって、その中に置いてある人形を見ながら、こう呟いていた。 「おやおやおや、お首がちと長すぎる」』【註2】 わたしであれば、「おお、おお、おお、首が長すぎるな」としてしまい、「お首がちと長すぎる」のこの時代錯誤な典雅な滑稽さにはかなわない。紳士(signore)を形容している原文の“impettito”は、直訳すると、胸を張った、いばったという意味だが、須賀敦子は気取ったと訳している。直訳的に「胸を張った紳士」とするよりもずっと、すんなりとそのイメージが立ち上がり、訳の巧さを感じさせる。また、滑稽だからこそ、子供のころから繰り返し思い出され、笑い話となって家族の記憶になっていったという原文の底にある流れを守り、ちいさな一節だが大事に訳してある。 しかし、ただ巧いだけで、このイメージを作り出せるだろうかという疑問も湧く。もしかすると、須賀敦子は、イタリアでこんな紳士を目にしたことがあるのではないか、威張った風な紳士がどんな話し方をするかを肌でわかっていたのではないだろうかと思うのである。彼女の訳した文を読むとつくづくそう思うときが幾度もある。子供のときの乱読で何を得ていたかといわれれば、物語の楽しさを味わった作品もあったけれども、実際は、大正や昭和の時代のイメージを沢山得たということではないかと思う。その後も、本を読んだり、映画を見たり、日本語が話される中で日常を生きてきて、徐々に徐々に、この国の中にある様々な地域に対してのイメージであったり、様々な職業や生活にいる人のイメージであったり、また、時代を遡れば昭和、大正、明治に生きていた人達がどんな風であったかのイメージを、層を重ねるように得てきたのではないかと思う。わたしが、日本語を話せる、操れるというのは実は大部分がその重なった層のおかげではないかと思うのだ。外国語の翻訳をする際一番難しいのは、本当はここだろう。ただ単に、文法を学んだだけでは訳せないのである。須賀敦子がイタリアで過ごした十数年は、彼女にイタリアの層を沢山作った。その層を通して出てくる訳は、やはり並大抵でないのは当然だ。彼女のようにイタリア語が読めるようになるのはもしかすると不可能かもしれないけれど、この先、多くのイタリアの本を読んだり、映画をみたり、たまには足を運んだりしてみて、少しでも近づけたら楽しいだろうと思う。 (つづく) =脚注= (1)Natalia Ginzburg, Lessico famigliare, Einaudi, Torino, 1963, p.16 (2)『ある家族の会話』(ナタリア・ギンズブルグ、須賀敦子訳、白水社、1995、p.21) |
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