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まどフィンの『ぴよぴよ漂鳥』
2008年2月25日 須賀敦子とナタリア・ギンズブルグ 〜『ある家族の会話』を読んで 7〜
  ナタリア・ギンズブルグの『ある家族の会話』には、家族の共通の記憶としていくつかの詩が出てくる。それは、偉大な詩人の詩ではなく、家族の誰かしらが面白半分でつくった言葉遊びのようなものから、幼い頃にどこかで聞きかじった詩、それも途中からは忘れてしまったというような代物である。

  『ある家族の会話』にでてくるそれらの詩を読んでいると、まるで、家族の誰かの遠い昔の走り書きや、もらった絵手紙や、雑誌の切抜きやらが詰まった古い菓子缶を開けたような気持ちになる。一つ一つは、切れ切れで、わずかな印象だけを残しているだけだけれども、それが重なってコラージュとなり、家族の記憶の陰影が迫ってくる。



  今回は、『ある家族の会話』に出てくるそういった詩を、須賀敦子が見事に訳している例を紹介したい。この訳を前にすると、いつも、ルーベンスの絵を目前にしたネロの気分になる。自分の知性の貧しい身なりが情けないのだけれど、それすら飛んでしまうほどすばらしくて、ただただ感嘆のため息が漏れるのだけといった気分だ。『ある家族の会話』(ナタリア・ギンズブルグ、須賀敦子訳、白水社)の34ページから36ページ【註1】には、そんな詩が並んでいる。

  ナタリアが幼い時、3歳まで住んでいたパレルモの町について、生まれて最初に書いた詩。

  Palermino Palermino,
  Sei più bello di Torino

  おおパレルモちゃんパレルモちゃん
  トリーノよりもべっぴんちゃん 

  上の詩が家族に好評を博し、それに勇気付けられて、さらに書き上げた二つの短い詩。

  Viva la Grivola,
  Se mai si scivola.

  Viva il Monte Bianco,
  Se mai sei stanco.

  グリヴォラ山ばんざい
  ぜったいにすべらない

  ばんざいモンブラン
  くたびれはててもういかん

  ナタリアの兄のマリオが、遊び仲間でトージの子たちと呼んでいた大嫌いな兄弟の少年たちについて書いた詩。

  E quando arrivano i signori Tosi,
  Tutti antipatici, tutti noiosi.

  また来た鼻もちならないトージ
  ひどい奴らでみな卒倒死

  もう一人の兄アルベルトが、十歳か十一歳のときにつくった詩。

  La vecchia zitella
  Senza mammella
  Ha fatto un bambino
  Tanto carino.

  老いぼれたオールドミス
  おっぱいが完全にミス
  だが生まれたのはちいさな赤坊主
  ふしぎにかわいい小坊主

  最後は、ナタリアの母親が子供の頃、ポー河流域の洪水の罹災者のために催された詩の慈善朗読会で聞き覚えた、尻切れトンボな詩。

  Eran parecchi giorni che si tremava tutti!
  Ed i vecchi dicevano:《 Madonna Santa, i flutti Ingrossan d’ora in ora!
  Date retta figliuoli; partite con la roba!》
  Ma che! lasciarli soli, poveri vecchi buoni!
  Il babbo non voleva; e poi il babbo e ardito e giovane,
  e non credeva
  Che dovesse succedere quell’orribile cosa.
  Ancora quella sera disse alla mamma:《 Rosa,
  Fa’coricare i bimbi, e tu pur dormi in pace.
  Il Po è tranquillo come un gigante che giace
  Nel gran letto di terra che gli ha scavato Iddio.
  Va’, dormi; tanti spirti sicuri come il mio
  Vegliano sulla sponda; tante robuste spalle
  Sono là per difendere questa povera valle》.

  人みな震がいの中に日々を送ること久しく
  老人らは《如何なるぞ、
  水嵩は漸次増すなり》とてうち騒ぐ。
  《子らよ聞け、財纏め疾く逃げるべし》
  《否、後に残すまじ善き老い人らを》とて
  抗い給いしはわれらが父上なり。気丈なる父上は、
  若さゆえ信じ給わざりき、
  やがてあの忌まわしき災禍のわれらを襲うべきを。
  その夜父上の母上に宣いて《ローザよ
  子らを床に就かせ汝は安らかに眠れ。
  ポー河は横たわる巨人の如く静かに
  み髪の掘り給いし自然の床に夢結ぶなり。
  行きて眠れ、わが如く雄々しき男子らが
  岸を警護すなり。この貧しき谷を
  多くの強き肩もて護るなれば》

  イタリア語が本来持っている凝縮性と簡潔性、そして、韻律が重んじられる西欧詩という、日本語とは大きく乖離した言語の特性を、いかに日本語に移し変えるかという不可能に近い作業を須賀敦子は成し遂げている。ナタリア兄妹が作った短い詩は、原文の韻の面白さを失わないよう、そして、子供が作った詩の滑稽さと無邪気さを出すように工夫されている。特に、トージと卒倒死(そっとーし)で韻を踏もうとしたところは、この上なくすばらしい。最後の洪水の罹災者に向けられた詩は、まるで聖書の一説のように訳してある。洪水から想起されるもの=旧約聖書のノアの洪水という文化の下地を踏まえた上での訳なのではないかと思う。

  綿密に構築された建造物に近い定型詩を持つ言語と、あとからつなぎ合わされる語によって流れる水のように変化する言語との間に、道をつなぐべく苦闘された須賀敦子の轍をたどっていくと、イタリア語を読み解く道しるべが見えてくる。  (つづく)



  =脚注=
  (1)原文では、Natalia Ginzburg, Lessico famigliare, Einaudi, Torino, 1963, pp.25-27


      



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