シルヴァーノ・アゴスティ Silvano Agosti



前口上

 シルヴァーノ・アゴスティ氏について誰かに語ろうとすると、必ずどこかで行き詰ってしまう。どうしてだろう。60年代初頭から頭角を現し、40年以上を経た今でも次回作に思いを馳せるような映画監督だ。映画への情熱とアイデアと遊び心は生半可なものではない。彼の存在を知ってまだ日の浅い僕が、おいそれと知った風な口で勝手なことを語るのは無礼というものだろう。とはいえ、語らないと何も始まらないわけだから、手探りではあるが、とにもかくにも口火を切ってみたいと思う。

 幸いHPでの紹介なので、ある程度情報がたまってくれば更新すればいいし、間違いが見つかればきちんと訂正して謝罪することもできる。何だか弱気な態度に思われるかもしれないけど、芸術家を調査して、その人の作品や姿勢を適切に評価するのはとても困難なものだ。しかもそれが現役の人ならなおさらだ。さらに言えば、僕たちがここで俎上にあげようとしているのは、日本ではまったくもって知られていないアゴスティ氏なのだ。本や雑誌はおろか、インターネット上にも日本語で書かれた文章はまったくない。だから、僕たち自身もその人となりや作品を徐々に知っていくことになるし、閲覧者の皆さんも、このODCのサイト上でその全体像をぼちぼち掴んでいってもらえればと思う。正直なところ、彼に対する僕たちの評価はまだ定まっていない。でも、急ぐ必要はないはずだ。少しずつ、しかし着実に情報を蓄えては公開していき、じっくりと判断すればいいことなんだろう。多少の回り道はするかもしれないけれど、先入観をできるだけ排除した真摯な態度で、このコーナーを作り上げていくつもりだ。アゴスティ氏のような世間の常識や固定観念にとらわれない芸術家を理解するには、そういう方法がぴったりくるだろうから。

 アゴスティ氏は、映画製作を柱にしてはいるけれど、作家という顔も持っていて、これまでに数多くの小説を書き、近年ではストレーガ賞という高名な文学賞にもノミネートしている。映画と文学。彼を総体的に捉えるには、そのどちらを軽視することもできない。しかも彼の場合、この二つのフィールドはそれぞれに独立したものとして存在するのではなく、自在に行き来しては刺激を与え、相互に反応させあうようなものなのである。ジャンルの垣根をひらりと飛び越え、映画にも文学にも同じスタンスで向かい合うアゴスティ氏の姿というのは、僕らのようなグループにとってはとても刺激的だ。

 どのように受け入れられるかはわからないが、一人でも多くの人にアゴスティ氏の活動について知ってもらいたいと願ってやまない。   

 <文:ポンデ雅夫>

バイオグラフィー

①生誕について   
 シルヴァーノ・アゴスティは1938年3月23日、イタリア北部はブレーシャという町に生まれた。ブレーシャはミラノから東へ80キロ、貴金属の加工で有名な地域である。こんな単純な事実は軽く流してしまいたいところだが、彼の出版物にあるバイオグラフィーは妙な書き出し方をしているので、紹介しておこう。

 Silvano Agosti nasce la prima volta a Brescia il 23 marzo 1938.   

 下線を引いたところが問題である。「初めて生まれた」という表現を用いているのだ。バイオグラフィーで「生まれたのはこれで二度目だ」と書く人間にはまだお目にかかったことがない。僕だって生まれてこの方、一度しか生まれたことがない。当たり前のことは書かないものである。しかし、彼は書いている。あなどれなさすぎる。

 僕たちはあまりにも急いて流れる現代的な時間の中で、時として、いや、往々にして、今日という日が、もっと言えば自分の生きている今この瞬間が、もう二度とは戻ってこない時間であるということを忘れてしまうことがある。60代後半にして、今なお人生を存分に謳歌しきっているこの芸術家は、僕たちがともすると見失ってしまいがちな尊い時間の価値を、しっかりと肌で感じているのだ。

 幼い子供のことを思う。彼らにとっては身の回りのことすべてが新鮮である。丸い目をさらに丸くして、感じ取るものすべてをスポンジのように吸収していく。それがいつの頃からだろう、成長するにつれて吸収力にも衰えが始まる。あんなに見開いていた目を閉じてしまうことすらある。もちろん、大人になっても子どもの豊かな感受性を持ち続けることはとても難しいことだろうし、そんな風にして生きるには大人は疲れやすすぎる。でも、頑なに目を閉じて、耳をぴったりとふさいで生きるのは、きっと悲しいことだ。いつの間にか、五感のすべてを固い殻で覆ってしまっていることに気づく。がちがちになって、身動きが取れない。そこで、持てる感覚をすべて解き放ち、新鮮な心持ちを取り戻す。それはもう一度生まれるということに他ならないのではないだろうか? 「生まれる」という行為をそんな風に捉えるとするならば、シルヴァーノ・アゴスティはこの世に初めて生を受けて以来、幾度となく「生まれて」いるのだ。

 ファンキーな生き方を貫き続ける彼の人生は、何度も何度も更新されて今に至っている。絶え間なく新陳代謝が繰り返されている。そんな男の歩みを記すには、やはり先の書き出しがしっくり来る。長すぎた(しかもいきなりの)脱線から本来の軌道に戻る意味でも、もう一度書いておこう。

 シルヴァーノ・アゴスティは1938年3月23日、ブレーシャで初めて生まれた。   

②家出のすすめ   
 17歳までは故郷ですくすくと穏やかに暮らした、ということでよいのだろうと思う。少なくとも本に付された短い文章では、そういうことになっている。確かにひとところにとどまっていた少年期は、ひとところにとどまってはいられない青年期に取って代わられることになる。地味である。一言ですむ。ブレーシャで育った。それだけだ。しかし、少年期のあり方はその人の成り立ちに大きく関与するものだ。それが彼ほどの表現者であれば、なおさらである。

 2003年の小説"Il semplice oblio"は自伝的要素が強いのであるが、やはり少年時代のエピソードにはそれなりのスペースが割かれている。のっけから家庭内の描写である。それから『カーネーションの卵(訳は筆者)』(Uova di garofano)という1991年のフィルムも幼い男の子が主人公なのだが、時代設定が戦時中から戦後にかけてということで、ちょうど彼の幼少期と符合する。おかげでこちらとしては、ますます彼という人間を育んだ環境や彼が当時思っていたことに興味を持ってしまうことになる。ただしここであまりに想像力をたくましくすると、この文章はただの創作になってしまうので、思春期をどういった環境で過ごしたのかについては、きちんとした調査を行ったうえで、また別の機会に書くことにしたい。

 閑話休題。事実に立ち戻ることにしよう。1955年、アゴスティは17歳でIstituto Magistraleを卒業する。このIstituto Magistraleは、師範学校と訳されることが多いが、どうも今ひとつぴんと来ないものがある。日本語で師範学校と言えば、今の教育学部や学芸大学といった教員を養成する機関の前身だ。イタリアの学校制度に疎いのではっきりとしないが、日本の高校と大学の中間形態のようで、修学期間は3年から5年といったところだ。現在でもこのスタイルの学校が制度として残っているのかどうかはわからないが、間違いなく言えるのは、この学校を卒業した生徒の多くは教育関係に従事するということである。従って、彼が教育について興味を持っていたということはわかる。そんなアゴスティが小説の『1日3時間しか働かない国』(マガジンハウス、2008年、Lettere dalla Kirghisia)のなかで現在の学校制度を痛烈に批判し、子どもたちが置かれるべき理想の状態を鮮やかに描いてみせているのは面白い。それにしても驚かされるのは、その卒業の早さである。どう考えても1年か2年はさくっと飛び級しているに違いない。

 17歳。アゴスティ少年は自由になった。学校という檻から。家庭という殻から。故郷という井戸のような小さな世界から。大きく深呼吸。彼は広い世界へと思いを馳せた。今までは映画や本でしか知らなかった広い世界を、自分の目で確かめてみたい。こうして彼の長きに渡る放浪生活が始まる。

 現在でもアゴスティは自身の経営する映画館「アッズッロ・シピオーニ」を訪れる客との会話の中で、とりわけ若い子供を持つ人に対して言うことがある。僕は何度も耳にした。

 人はすべからく若いうちに、育った家庭を離れることが大事である。親の反対があればなおさらのことだ。二十歳前後になったら、何も考えないで寝袋を抱えて世界を見て回るべきだ。それまでと異質な空気を吸うべきだ。

 寺山修司風に言えば、「家出のすすめ」といったところだ。ともかくそのようにしてアゴスティは、体ひとつでブレーシャを飛び出した。未知の世界へと漕ぎ出した。最初の目的地はロンドン。なぜか? 何のことはない。大好きだったチャップリンの生家へ行ってみたかったのだ。  <つづく>   

 <文:ポンデ雅夫>

フィルモグラフィー

 シルヴァーノ・アゴスティの関わる映画作品は今のところマルコ・ベッロッキオ監督(Marco Bellocchio)が1965年に制作した『ポケットの中の握り拳』(I pugni in tasca)しか日本では公開されていません。よって、いわゆるオフィシャルな邦題がありません。ここで表記しているものは、あくまで原題を直訳(ときには意訳)したものになります。また、ドーナッツ・メンバーもそのすべてを鑑賞しているわけではありませんので、安易な訳が作品のイメージに悪影響を及ぼす危険性があると判断した場合には、あえて訳さずに読み方をカタカナ表記しています。作品の形式や内容については正確な情報が集められたもののみ提示しています。掲載内容に誤りがあった場合や新たな情報を入手した場合には、その都度このフィルモグラフィーに反映していきます。事情をご理解の上、ご了承ください。

 <作成:ポンデ雅夫>

1960 Il matrimonio di Vivina 『ヴィヴィーナの結婚』
監督・原案・脚本・撮影・プロデュース・編集。16mm、モノクロ、14分。

1960 Requiem 『レクイエム』
監督・原案・脚本・撮影・編集。35mm、モノクロ、12分。

1961 Bolle 『泡』
監督・原案・脚本・プロデュース・編集。16mm、モノクロ、40分。ドキュメンタリー

1962 La veglia 『徹夜』
監督・原案・脚本・編集。35mm、モノクロ(パートカラー)、40分。
国立映画実験センター監督コース卒業制作。
宗教的にスキャンダラスな内容だったために教師陣からは眉をひそめられたが、映画自体の質が非常に高く、校長の一声によって最優秀作品賞を受賞。

1963 Grazie zia 『ありがとう、叔母さん』
アレッサンドロ・ジゼッリ(Alessandro Giselli)という偽名で編集。
サルヴァトーレ・サンペリ(Salvatore Samperi)監督作品。35mm、モノクロ、95分。


1964 Il gioco dei grandi 『大人の遊び』
監督・編集。

1965 Violino 『ヴァイオリン』
監督・原案・脚本・編集・音響。35mm、カラー、11分。ドキュメンタリー。
撮影はジュゼッペ・ランチ(Giuseppe Lanci)。ナンニ・モレッティ(Nanni Moretti)、タヴィアーニ兄弟(Paolo & Vittorio Taviani)、ロベルト・ベニーニ(Roberto Benigni)、アンドレイ・タルコフスキー(Andrej Tarkovskij)といった大物たちを支える(支えた)素晴らしい撮影監督である。

1965 I pugni in tasca 『ポケットの中の握り拳』
映画実験センターの同級生、マルコ・ベッロッキオ監督作品。
編集・脚本協力(アウレーリオ・マンジャロッティという偽名がクレジットされている)。
日本では1983年に劇場公開。ロカルノ映画祭最優秀監督賞受賞作品。

1965 S. 65 
監督・編集。ドキュメンタリー。

1967 Il giardino delle delizie 『快楽の園』
監督・脚本・編集。35mm、モノクロ、96分。
音楽はエンニオ・モリコーネ(Ennio Morricone)が担当。
イタリアでは検閲を受け、一般公開には合計28分ものシーンをカットするという条件が付く。フランスでも公開。ペーザロ映画祭観客賞受賞。モントリオール映画祭に出品され、ジャン・ルノワール、ジョン・フォード、フリッツ・ラング、ドゥシャン・マカヴェイエフといった映画作家の作品と並んで年間優秀映画ベスト10に選ばれる。
 
 
1968 Cinegiornali del movimento studentesco 『学生運動のニュース映画』
監督・撮影・編集・音声。16mm、モノクロ、120分。
音楽はニコラ・ピオヴァーニ。ドキュメンタリー。

1968 Lotte di strada del '68 『68年、路上の闘争』
監督・撮影・編集・音声。ドキュメンタリー。

1971 N.P. il segreto 『N.P 機密』
監督・原案・脚本・編集・音響。35mm、カラー、92分。
音楽は日本でも人気の高いニコラ・ピオヴァーニ(Nicola Piovani)。
ヴェネツィア映画祭出品、バルセロナ映画祭最優秀作品賞。
 

1971 Nel nome del padre 『父の名の下に』
編集。マルコ・ベッロッキオ監督作品。35mm、カラー、109分。

1973 Scersceld 『シェルシェルド』
スウェーデン人監督ミヒャエル・メシュケ(Michael Meschke)と共同で監督・脚本。

1973 Altri seguiranno 『他の皆もついてくるだろう』
監督・原案・撮影・編集・プロデュース。16mm、モノクロ、45分。
ギリシャの詩人・政治家であるアレクサンドロス・パナグリス(Alessandro Panagulis、日本語ウィキペディア該当箇所への外部リンク)へのインタビュー作品。

1974 La strage di Brescia 『ブレーシャの悲劇』
監督・撮影・編集・音響・プロデュース。16mm、モノクロ、16分。ドキュメンタリー。

1975 Festa della Repubblica 『共和国祭』
監督・撮影・編集・音響。ドキュメンタリー。

1975 Matti da slegare 『キチガイに自由を』
監督・編集。16mm/35mm、モノクロ、100分。
マルコ・ベッロッキオ、サンドロ・ペトラリア(Sandro Petraglia)、ステーファノ・ルッリ(Stefano Rulli)と共同監督。ベルリン映画祭審査員特別賞、同映画祭国際カトリック協会賞、ニヨン映画祭観客賞、ロッテルダム映画祭観客特別賞、イタリア文化省優秀作品賞。
 

1976 Nel più alto dei cieli 『天の高みへ』
監督・原案・脚本・編集。35mm、カラー、92分。
脚本はステファノ・ルッリと共同執筆。
音楽はニコラ・ピオヴァーニ。ヴェネツィア映画祭出品。
ローマ法王に謁見を賜るためにヴァチカンを訪れた人たちが巨大なエレベーターに閉じ込められる。外部との連絡が取れない密室の中で、それぞれが人間の本性を表し始める…。長廻しを多用する計算されたカメラワークがすばらしい。

1977 Il gabbiano 『かもめ』
編集。マルコ・ベッロッキオ監督作品。35mm、カラー、132分。

1977 Runaway America 『ラナウェイ・アメリカ』
監督・編集。35mm、カラー。ピーター・アモス(Peter Amos)と共同監督。アメリカ制作。

1978 Forza Italia 『イタリアがんばれ』
編集。35mm、カラー。リーノ・デル・フラ(Lino Del Frà)監督。

1979 La macchina cinema 『映画という機械』
マルコ・ベッロッキオ、サンドロ・ペトラリア、ステーファノ・ルッリとの共同監督。
編集。ドキュメンタリー。フィプレーシ賞(Premio Fipresci)受賞。

1980 Il buffone di Dio 『神の道化師』
監督・編集。オショウ(日本語ウィキペディア該当箇所への外部リンク)やバグワンと呼ばれるインドの神秘家へのインタビュー。

1981 Un incontro 『出会い』
監督・編集。インドの首相インディラー・ガーンディー(日本語ウィキペディア該当箇所への外部リンク)へのインタビュー。彼女は84年に暗殺された。アゴスティの小説『1日3時間しか働かない国』(マガジンハウス、2008年、Lettere dalla Kirghisia)に彼女についての記述がある。

1982 Il pianeta azzurro 『青い惑星』
プロデュース・編集。35mm、カラー、90分。
フランコ・ピアヴォーリ(Franco Piavoli)監督。同年のヴェネツィア映画祭でユネスコ賞や銀リボン(ナストロ・ダルジェント、Nastro d'argento)新人監督賞をはじめとする複数の賞を獲得。1984年アカデミー賞ドキュメンタリー部門ノミネート。
作品を観たベルナルド・ベルトルッチ(Bernardo Bertolucci)、アンドレイ・タルコフスキー、エルマンノ・オルミ(Ermanno Olmi)といった名匠が賛辞の声を寄せる。北イタリアの農村を舞台にした一種のドキュメンタリーだが、一切のセリフを排し、自然の映像と音のみで一日の時間の経過と四季を同時に表現する独創的な編集法を採用している。
 

1983 D'amore si vive 『愛に生きる』
監督・撮影・編集。35mm、カラー、95分。
母親、少年、同性愛者、売春婦などへのインタビュー作品。
やさしさと性欲と愛。人間の愛情をつかさどる三つのテーマが柱になっている。一年以上の時間をかけて膨大な人数へのインタビューがパルマ(Parma)周辺で収録された。これらの映像は本来はテレビ用だったが、この映画のために7人の会話が選ばれ、再編集された。アゴスティと親交の深かった小説家アルベルト・モラヴィア(Alberto Moravia)の絶賛を受ける。YouTubeで映像の一部(9歳の男の子のインタビュー)を観ることができます。こちらからどうぞ。

1984 L'addio a Enrico Berlinguer 『ベルリンゲル、さようなら』
監督・編集。96分。
イタリア共産党書記長であったエンリーコ・ベルリンゲルの葬儀を記録したドキュメンタリー。驚くほど多くの監督が共同監督という形で関わった作品である。エットレ・スコラ、カルロ・リッツァーニ(Carlo Lizzani)、ベルナルド・ベルトルッチ(Bernardo Bertolucci)、ロベルト・ベニーニ(Roberto Benigni)、ジッロ・ポンテコルヴォ(Gillo Pontecorvo)、パオロ・ピエトランジェリ(Paolo Pietranglei)、ジュゼッペ・フェッラーラ(Giuseppe Ferrara)他6人。

1987 Quartiere 『クワルティエーレ 愛の渦』
監督・原案・脚本・撮影・編集。35mm、カラー、81分。
音楽はエンニオ・モリコーネが担当し、その叙情的なスコアは彼の代表作の一つに数えられており、コンサートでもしばしば演奏される。クワルティエーレは「地区」という意味で、ローマのプラートという地区の四季を追いかけながら、4組のカップルのそれぞれに異なる愛の形を物語る。アメリカ公開時のタイトルは“Neighborhood”。
 

1988 Uova di garofano 『カーネーションの卵』
監督・脚本・撮影・編集。35mm、カラー、120分。
ヴェネツィア映画祭、サン・セバスチャン映画祭出品。モスクワ映画祭最優秀作品賞。フランスでも公開。
ルー・カステル(Lou Castel、ヴィスコンティの『山猫』やベッロッキオの『ポケットの中の握り拳』)、アラン・クニー(Alan Cuny、フェッリーニの『甘い生活』『サテリコン』やオルミの『キリストはエボリに止りぬ』)、パオラ・アゴスティ(Paola Agosti、スコラの『ラ・ファミリア』)といった名優たちを迎え、1943年から45年のイタリアを監督自身の自伝的逸話を詩的かつ史的に扱った作品。自作の同名小説の映画化。小説はセグラーテ市賞(Premio città di Segrate)を受賞している。現在のローマ市長ワルテル・ヴェルトローニ(Walter Veltroni)は、アゴスティの経営する映画館の常連客であるが、この作品はなかでも彼のお気に入りであり、映画評論家時代にポジティブな批評を残している。
 

1989 Prima del silenzio 『沈黙の前に』
監督・脚本・撮影・編集。ヴィデオ、カラー、29分。
終身刑を言い渡された息子と彼に会いに行く母親の物語。ピエル・パオロ・パゾリーニ(Pier Paolo Pasolini)へのオマージュ作品。

1992 Uova di garofano 『カーネーションの卵』(再編集版)
監督・原作・撮影・編集。
35mm、カラー、イタリアでのテレビ放映用150分版と海外マーケット向けに短く再編集された90分版。アメリカ公開時のタイトルは“Farewell Sweet War”。

1992 Bell'amore 『美しき愛』
監督・編集。ヴィデオ。
『愛に生きる』と同様のテーマについて考察したドキュメンタリー。インタビューの対象を男性のみに絞っている。

1992 Frammenti di vite clandestine 『陽のあたらない生活の断片』
監督・編集。13分。ドキュメンタリー。
過酷な境遇を生き抜く人々の記録と告発。

1993 Il leone di argilla 『粘土の獅子像』
監督・撮影・編集・音声。ヴィデオ。
ヴェネツィア映画祭の舞台裏を追いかけるドキュメンタリー。

1993 Il trionfo del vuoto 『空虚の勝利』
監督・編集。
ファシズム期の建築物の構造的な特徴を探るドキュメンタリー。

1994 L'ultimo uomo 『最後の男』
プロデュース。ロレンツォ・ネグリ(Lorenzo Negri)監督作品。カラー、15分。
冬眠し続けた宇宙飛行士とコンピュータの交流を描いたSF作品。

1995 L'uomo proiettile 『人間大砲』
監督・脚本・撮影・編集。35mm、カラー、85分。
音楽はエンニオ・モリコーネが担当。
自作の同名小説を映画化。小説はストレーガ賞にノミネートすると共にとローマ市賞(Premio città di Roma)を受賞している。ヴェネツィア映画祭出品。サーカスで人間大砲の芸を披露する若者が主人公。同じサーカスの団員と恋をし、働くということは何かということについて思いをめぐらせる。フリッツ・ラングの『メトロポリス』などの映像を引用していて、映画そのものへのオマージュにもなっている。  
 

1998 La seconda infanzia 『二度目の少年時代』
監督・撮影・編集・音声。
老人についてのドキュメンタリー。ヴェネツィア映画祭出品。
 

1998 Il volo 『飛行』
監督・撮影・編集。知的障害者についてのドキュメンタリー。

1998 C'ero anch'io. Frammenti di lotte di strada. 『僕もそこにいた ~路上の闘争~』
監督・撮影・編集。ヴィデオ、モノクロ/カラー、105分。
音楽はニコラ・ピオヴァーニが担当。ロカルノ映画祭出品。

1998 Trent'anni di oblio 『忘却の30年』
監督・撮影・編集。ヴィデオ、モノクロ/カラー、180分。
音楽はニコラ・ピオヴァーニが担当。ロカルノ映画祭出品。

2000 La seconda ombra 『二つ目の影』
監督・脚本・撮影・編集。35mm、カラー、84分。
音楽はニコラ・ピオヴァーニが担当。イタリア共和国大統領特別賞受賞。ストックホルム映画祭出品。
イタリアのみならず世界の精神科医療に影響を与えた医師フランコ・バザーリア(Franco Basaglia)がゴリーツィア(Gorizia)の精神病院で実践した革新的な治療スタイルとその革命的な行動を、本人とも親交の深かったアゴスティが映画化。
 

2001 La ragion pura 『ラ・ラジョン・プーラ』
監督・脚本・撮影・編集。35mm、カラー、83分。
音楽はエンニオ・モリコーネが担当。
ストレーガ賞にノミネートされた自作の同名小説を映画化。67年に制作した『悦楽の園』で扱った結婚のテーマを掘り下げる。結婚して15年間子供に恵まれず、関係も冷え切ってしまっているカップル。ある晩、夫は寝ている妻が無意識に自分の心境を吐露するのを聞く…。日本でも有名かつ人気の高い俳優フランコ・ネロ(Franco Nero)が夫役を好演している。アメリカ公開時のタイトルは“Sleeping Wife”。
 

2002 Dario Fo - Un ritratto 『ダリオ・フォー ~肖像~』
監督・撮影・編集。ベータカム、カラー、58分。
ODCお宝アーティストの一人であるダリオ・フォーへのインタビュー。

2003 I mozartini 『小さなモーツァルトたち』
監督・編集。ベータカム、カラー、32分。ドキュメンタリー。
イタリアが世界に誇る天才ヴァイオリニストで、日本でもリサイタル経験のあるウート・ウーギ(Uto Ughi、ウィキペディア該当箇所への外部リンクです)が世界各地の子どもたちにヴァイオリンを教える。
サレルノ映画祭共和国大統領特別賞受賞。

2003 Il canto 『カント』
監督・編集。

2005 HANS 『アンス』
出演。ルイス・ネロ(Louis Nero)監督作品。35mm、カラー、97分。
フランコ・ネロがプロデュース、好演するサイコ・スリラー。
 

2005 La febbre 『熱』
出演。アレッサンドロ・ダラートリ(Alessandro D'Alatri)監督作品。35mm、カラー、108分。
ODC一押しアーティストの一人であるファビオ・ヴォーロ(Fabio Volo)主演のコメディー。
 

2006 “Le quattro stagioni” narrate ed eseguite da Uto Ughi 『ウート・ウーギの「四季」』
監督・編集。
ウート・ウーギの魅力あるヴァイオリン演奏を堪能できる作品。アッシジ(Assisi)大聖堂で行われたウーギとローマ交響楽団によるヴィヴァルディ(Vivaldi)の「四季」のコンサートを収録。オーケストラ・リハーサル、コンサート本編、ジョット(Giotto)のフレスコ画、『青い惑星』を再編集した映像の4部構成となっている。
 

『1日3時間しか働かない国』発売記念
著者アゴスティ独占インタビュー

 大阪ドーナッツクラブがお宝アーティストとして少しずつプッシュしてきたイタリアの才人シルヴァーノ・アゴスティ。彼の代表作である小説『1日3時間しか働かない国』(Lettere dalla Kirghisia、原題『キルギシアからの手紙』、2005年、リンマージネ出版)を、ついに日本で出版することができました。今回はそれを記念して、今や濃いつきあいとなったアゴスティに急遽インタビューをすることにしました。聞き手は、ローマ支部を預かるハムエッグ大輔。サン・ピエトロ寺院にほど近いアゴスティの自宅でお話をうかがいました。どうぞ、お楽しみください。
  
 (画像は、イタリアで出た原書のふたつの版の表紙)

ハムエッグ大輔(以下、ハムエッグ):こんにちは、はじめまして。ではないですね、考えてみたら。お忘れかもしれないけど、僕、一度映画館でアゴスティさんのサインをもらったことがあるんですよ。

シルヴァーノ・アゴスティ(以下、アゴスティ):こんにちは。そうだね、あのとき以来だね。

がっちり握手
ハムエッグ、玄関のドアを閉めようとする。

アゴスティ:ああ、ドアは開けっ放しにしといて。そうしておくのが好きだから。いつも世界とつながっていたいのさ。ところで、これを見てくれ。日本語版の表紙を受け取ったんだよ。なんて素晴らしいんだ!

アゴスティ、パソコンのモニターで日本語版『キルギシアからの手紙』、『1日3時間しか働かない国』(マガジンハウス)の表紙をハムエッグに見せる。

 誰もが幸せになる 1日3時間しか働かない国
ハムエッグ:はい、はい。それ、僕も見ました。おめでとうございます。

アゴスティ:この字が「日」って読むの? でこれが「時間」?

ハムエッグ:えーっと、これが「日」で、これが「時間」ですね。で、これが「国」。

アゴスティ:なるほど。

ハムエッグ:あのー、日本語版ではいろんなことを考慮してこのようにタイトルが変わってしまってるんですけど、それについてはどうお考えですか?

アゴスティ:いや、ぜんぜんかまわないよ。それぞれの国に適した形で出版されるのが一番だし、当然のことだと思ってる。そして同時にどんな国、どんな人間でも、根本は変わりないんだよ。本質的な生活は喜びや感動の中にあって、現実的な生活は規則の中に押し込められてる。いいかい、本質的な生活を送るというのは、寓話のような世界に入ることなんだ。わかる? フェアリーテイル。

ハムエッグ:『1日3時間~』の世界を貫く考え方ですね。

アゴスティ:そう、キルギシアの人たちは現実的な生活を抜け出し、本質的な生活を始めた。そしたら、彼らの現実は、いつのまにか寓話的なものになるんだ。

ハムエッグ:そう、その寓話的空気感についてなのですが、僕はこの本を読んで、『星の王子さま』(Le Ptit Prince)に似た印象を持ったんですよ。また、『1日3時間~』が掲げる理想郷は、トマス・モア(Thomas More)の『ユートピア』(Utopia)に近似しています。日本の出版社の方は、中国の老子の思想の影響がそこかしこに垣間見えるとも言っておられました。このような文学作品からの影響というのは、実際に受けられたんですか?

アゴスティ:いや、トマス・モアにしろ老子にしろ、そして例えば釈迦でもキリストでも誰にせよ、みんな大きく「人間」、「人間らしさ」という概念から影響を受けたんだと思うよ。残念ながら、それはこの世界ではあまり大事にされていない。というか、存在すらしていないんじゃないかな。「人間」として生まれ、4・5歳を過ぎた頃、みんな誘拐されてしまうんだ。そして税理士に、教皇に、天皇に、または芸術家に、映画監督に姿を変えられてしまう。それらはもう「人間」ではないんだ。例えば「猫」について考えてみよう。猫には税理士も教師もないだろう? 「猫」はいるけど「人間」はいない。妨げられているんだよ。でも、もうすぐ子供たちが安心して「人間」に育つ時代が来ると信じているよ。木やカモメや、さまざまな自然界の生き物たちが育つように。だから、「人間」を重んじるすべての人間が通奏低音として同じ事を言うわけなんだ。4歳の子供だって、僕と同じことを言うかもしれない。僕がもっとも影響を受けたのは、大木のように僕の中で育った幼少期のそんな思想なんだ。

ハムエッグ:なるほど。えーっと…、なんだかテープレコーダーのスイッチが入ってないのにいきなりインタビューが始まっちゃいましたね。うちのポンデ雅夫がよく言ってました。アゴスティさんはいつもスイッチが入ってる人なんだって。よし、テープがまわりました。改めまして、日本での『1日3時間~』発売おめでとうございます。これが初めての海外出版ですか?

アゴスティ:いや、というか、実際のところ、少し前までイタリア国内でも自分の本が本屋に置かれることなんて想像してなかったくらいさ。本を書くというのは、僕にとって、母親が子供を産むみたいなもんなんだ。僕があーだこーだ決めるんじゃなくて、自然と作品ができあがる。こうやって『1日3時間~』が生まれたとき、僕はその子を眺めてこう思ったんだ。う~ん、こいつは世界中の「人間」たちに気に入られるぞ。そう言ってその子にキスしたよ。するとその子が勝手に育っていったんだ。今、イタリア国内では、既に6万部売れているんだけど(註:イタリアの人口は日本の半分)、そうしているうちにあちこちからお声がかかってね。スペイン、フランス、アメリカ、ロシア。友達に読ませたいからっていう理由から、それぞれの国で、本が出来上がっていったんだ。自費出版だね。

ハムエッグ:そして、今度は日本にやって来た。

アゴスティ:いや、日本から出発するんだよ。

ハムエッグ:じゃあ、その出発に際して、日本の読者の方々にメッセージをお願いしてよろしいでしょうか?

アゴスティ:日本の読者に限らず、みんなに同じことを言ってるんだけど、「自分の価値を発見してほしい」ということ。えーっと、日本でいちばん有名な画家って誰? どんな時代の人でもいいんだけど…。

ハムエッグ:画家ですか?? え~、え~、たとえば、写楽ですかね?

アゴスティ:シャラク! 知ってるよ。じゃあ、シャラクの最高傑作があるとするよね。確かにその作品はすばらしいんだけれど、それと同時に、腰のひん曲がったよぼよぼのおじいさん、いや、どんな日本人にも、そのシャラクの最高傑作と同じだけの価値があるんだ。自分に価値があることを発見すること。それは、残酷さを発見することでもあるんだ。その人に内在する残酷さ。するとどうだろう、その人は、自分を抑圧してくる人に対する屈折した感謝の気持ちが消えていって、代わりに自由を望むようになるんだ。自由というのはいいもんだよ。だから、自分が最高傑作であると知覚すること。それが僕から読者への究極のメッセージかな。

ハムエッグ:ありがとうございます。ところで、「1日3時間しか働かない」生活が物語の中で展開されているわけですが、アゴスティスティさん自身の生活はどのようなものなんですか? アゴスティ:17歳のときに家を飛び出したんだけど、それから1日3時間以上働いたことはないよ。ほとんどの時間を、僕は自分自身のために使っているよ。

ハムエッグ:ははははは! すごいですね!

アゴスティ:もちろんさ。物語の中には、僕の生活を体現した国民を登場させたんだよ。僕の中にはふたつの政府機関があるんだ。用件を手っ取り早く済ませるものと、僕の生活を向上させるもの。言わば、キルギシアにあるさまざまな省庁とおんなじだね。道路向上省、人間関係向上省。向上させたいことの数だけ、それに見合った機関があるのさ。

ハムエッグ:じゃあ、アゴスティさんの生活は、まさにキルギシアの生活ってことですね。

アゴスティ:その通り。僕はキルギシアの国民第1号だよ。そして、キルギシアはすべての人類の中に広がっていくよう定められている。理由は簡単さ。自由ってやつは伝染するんだ。「あいつは自由なのに、なんで俺は違うんだ!?」ってなもんさ。日本人が何かにつけて従順だとよく聞くけれど、それは足かせがあるからというよりも、自由を想像して膨らませる力が足りないからかもしれないな。僕は1日最低5、6時間は遊んでいる。この世界と、壁と、人々と、子供と、そして本と遊ぶ。そうやって、抑圧的ではなく、生産的でクリエイティブな仕事ができるんだ。1日12時間働くことは、日本人を従順にさせるためにとても有効かもしれない。でもね、幸せな人間の3時間は、不幸な人間の9時間よりも2倍は生産性がある。だから、いつかはこの貪欲で恐ろしい産業というサメたちも、幸せになったほうがよっぽど稼げるって理解する。そしてこう言うのさ。「じゃあ、幸せになろうか」ってね。

  そうだな、僕は日本の読者にこう言おうか。僕は永久に穏やかな暮らしを謳歌してますよって。家があって、その家のドアは開けっ放しで世界と通じ合ってる。ここには、無数の友達や愛、大いなる芸術家が訪れるんだ。何か困ったことがあると、僕はマーティン・ルーサー・キングかガンジーにでも相談する。彼らもまたキルギシアの住人であり、僕の生活を構築する一部であるかのように、僕といっしょに生きているんだ。

ハムエッグ:貪欲なサメたちということですが、この物語はある視点から見ると現代社会に対する痛烈な批判という風にもとれますよね…。

アゴスティ:現代社会というのは…、技術革新による奇跡であると同時に、人類を揺るがす大災害でもあるね。キルギシアは社会的ピラミッド構造を変化させて、人々の生活を一から創りなおすための提案なんだ。ピラミッドっていうのは上に権力者が立って、土台に希望のない人々がいる。キルギシア社会は真球なんだ。中心には本質的な生活があり、みんな、すべての人がそこから等距離にあるんだ。

ハムエッグ:ところで、なぜ物語の舞台をキルギシアに設定したんですか? この名前ってあなたの造語?

アゴスティ:いやいや、まったくの造語ってわけじゃないよ。中国の西に位置するキルギス共和国から取ったんだ。そこのとある地方を旅したとき、道で会う土地の人たちが、みんな、みんなだよ、僕を見るなり「こんにちは~!」って言うのさ。僕は「どこかで会ったっけ? 何か一緒にしたっけ?」って訊いたよ。でも、そうじゃなかったんだこれが。彼らは自由な放牧民なんだけど、道すがら出会う人すべてが「人間」になるんだ。僕はこの体験から、物語の舞台をキルギシアという名前にしたのさ。

ハムエッグ:なるほど。ありがとうございます。では、そろそろ最後の質問です。次なる作品として今映画を製作している途中だと聞いたのですが。どうですか?

アゴスティ:まあ…、僕はいつも作品ができる10年は前からそういう風に言うんだよ。

ハムエッグ:ははははは。でも、何かしら準備はしてるんじゃないんですか?

アゴスティ:いや、いや。僕は普通に生活しているだけ。僕は2037年に死のうって決めてるんだ。2037年、ちょうど僕は99歳になるんだけど、その頃はもう十分って具合に達観してるだろうからさ。そして死ぬ1日前に、僕の人生が終わるお祝いとしてセックスするんだ。今後に関してはそういう計画があるだけだよ。

※このインタビューは、2008年6月23日に行われました。

 いかがだったでしょうか。いつも饒舌なアゴスティは、実は他にも示唆に富んだ話をたくさんしてくれたんですが、今回はキルギシアにまつわるものに限定してご紹介しました。新作映画については、ハムエッグ大輔は見事にはぐらかされましたね。でも、僕たちは知っています。こっそりいろいろ準備していることを。それはともかくとして、そう遠くない将来、日本でもアゴスティの映画を上映できるよう、僕たちは僕たちで、彼に負けじと準備しています。こちらもお楽しみに。

インタビューこぼれ話  2008年11月

 シルヴァーノ・アゴスティさんのお宅にお邪魔してインタビューをした際、『1日3時間しか働かない国』(Lettere dalla Kirghisia、原題『キルギシアからの手紙』、2005年、リンマージネ出版<Edizioni l'Immagine>)について以外にも、さまざまなお話を聞かせてくれました。テープレコーダーが止まっても延々話し続けるアゴスティ氏。今回は増刷記念といたしまして、そんな彼の発する言葉の断片をつなぎ合わせつつ、「改めてアゴスティ像が見えてくるかも!」と、こぼれ話をご紹介します。

ハムエッグ大輔(以下、ハムエッグ):では、今日はインタビュー本当にありがとうございました…。

アゴスティ:ああ、ちょっと待って。この本をきみにあげるよ(画像下、『ただ忘れること<訳は筆者>』、Il semplice oblio、2003年、リンマージネ)。

アゴスティ:ぼくが世界中を旅してたころの話なんだけど、初めて書店に置かれた本なんだ。その経緯はとてもシンプルでね、旅をしてとてもいい本ができたから、よければどうぞってフェルトリネッリ(Feltrinelli)で働いている女友達にこの本を送ったのさ。そしたら数日後にはもう返事がきて、すぐ全国のフェルトリネッリで売り出されることが決まった。

ハムエッグ:なるほど。

アゴスティ:ああ、じゃあ中表紙にサインするから、ちょっときみのよく目をみせて…。

X Dai   perché lasci pulsare i desideri e riposare la razionalità
ダイへ 感情を脈打たせるために、理性を休ませるんだ

アゴスティ:意味はわかるかい? プルサーレ(pulsare)っていうのは、こう例えば心臓がどくどくってなることだよ。

ハムエッグ:(苦笑いしながら)ありがとうございます…。

アゴスティ:ところで、きみ。ぼくに対して敬語を使う(dare del Lei)のやめなよ。

ハムエッグ:え、ああそうですか? わかりました…。そういえば、アポをとるために初めてアゴスティさんに電話したときも、「あなたはシルヴァーノ・アゴスティさんですか?(Lei è Silvano Agosti?)」って聞いたら、「彼女のことは知らないけど、ぼくはシルヴァーノ・アゴスティだよ(Non so di lei, ma io sono Silvano Agosti.)」って答えましたもんね(イタリア語では、「彼女」と「あなた」を共に“レイ<lei>”と言う)。

というわけでその後、ハムエッグはアゴスティさんに対し敬語を使わなくなったが、日本語の文面では便宜上敬語にさせていただきます。日本語の敬語、ため口とイタリアのそれらは、感覚的に違ったものなので。

アゴスティ:ああ、そうだったね。誰もぼくに敬称なんて使ってほしくないんだよ。どんな人とでも仲良くしたいしね。一度こんなことがあった。ぼくはこのすぐ近くで映画館を経営してるんだけど、月曜日は、ぼく自身が受付でお客さんの応対をしている。ある日の月曜日、ひとりの青年が中に入ってきてぼくにこう言ったんだ。「おれ、アゴスティの友達だからさ、ただで中に入れてよ」。ぼくが落ち着き払って「ああ、それは中に入れなければいけないね。ところでアゴスティとはもう知り合って長いの?」って言うと。上映室に入りながら、その子は「そりゃもちろん! 頼むぜ、よろしく言っといてくれよな」って言って入っていったんだ。

アゴスティ、楽しそうに笑う。

ハムエッグ:あ、その話、知ってますよ。新しい小説でも書いてましたよね。

『1日に3時間~』に次ぐ、シルヴァーノ・アゴスティの新作『眼に見えないものたちのダンス(訳は筆者)』(Il ballo degli invisibili、2007年、リンマージネ、画像右)。92編の短い話で構成されたこの本は、そのすべてから、それぞれ続きが生まれ出てきそうな、言わば92編の物語の冒頭部分を収録した作品になっています。映画館の話以外にも、この作品に書かれている話が、アゴスティさんの口から次々と出てきたのでした。

アゴスティ:ああ、読んでくれたんだね。

ハムエッグ:はい、やっぱり「1日3時間~」に通じるものがありますね。

アゴスティ:そうだね、物語の多くは「ペルケ?」っていう気持ちから生まれていることは確かだよ(「ペルケ」は“perché”と表記し、「どうして?」、「なぜ?」の意味)。例えば、1日3時間以上働いたら、「ペルケ?」って思わなくちゃいけない。「ペルケ?」、おれは3時間以上働いているんだ? 家に帰って子供たちとおしゃべりしなくちゃ。かわいそうに、「ペルケ?」、子供たちはおれと一緒にいれなくて、学校に行かなくちゃいけないんだ。ペルケ? ペルケ? ペルケ?…。日本語で“Perché no?”って何て言うの?」

ハムエッグ:「なんでだめなの?」ですかね。

アゴスティ:おー、「ナンデ」! そうか。ぼくは将来『Perché no?』っていう本を書くことにするよ。そしてその本を日本のみんなと日本の偉い人たちに捧げるよ。『ナンデ?』って。きっとみんなぼくのメッセージがわかってくれると思うけど…。  (おわり)


いかがだったでしょうか。いつか実際にアゴスティさんが日本を訪れて、読者のみなさんと直接対話する、そんな機会があればとドーナッツ・クラブは考えております。

アゴスティの映画作品上映決定! 特集『アゴスティとモリコーネ』

本企画は、無事に終了いたしました。
基本的に夜間の上映だったにもかかわらず、おかげさまでたくさんのお客様に駆けつけていただきました。
ご来場いただいた皆様には、厚く御礼申し上げます。
しばらくは関西が中心になるかとは思いますが、今後もシルヴァーノ・アゴスティの映画作品を上映する企画を練っておりますので、どうぞご期待ください。 (2009年11月2日:ポンデ雅夫)


ODCでは、アゴスティの映画作品3作品に字幕を付け、作品の配給を開始いたしました。
2009年10月23日~27日、京都のRCSさんが運営を行い、京都駅ビル開発株式会社が主催する、京都駅ビル「駅ビルシネマ」 京都・ボストン姉妹都市提携50周年記念[姉妹都市映画祭]参加企画として、イタリア映画特集『アゴスティとモリコーネ』にて、その3作品を計8回にわたって上映します。
どれも日本初公開。知られざる巨匠シルヴァーノ・アゴスティの映像の世界をお楽しみください。
イタリアが誇る映画音楽家であり、日本でも愛されているエンニオ・モリコーネがサウンド・トラックを担当した2作品と、代表作との呼び声の高い『カーネーションの卵』を上映します。

詳細は、チラシをご覧ください。|ダウンロード

本特集について、京都新聞でご紹介いただきました。|ダウンロード

会場:JR京都駅北側、中央改札口から東側のエスカレーターへ
当日券:一般1.800円/学生1.500円/RCS会員1.200円/シニア1.000円
前売券:1.300円 (劇場窓口とチケットぴあにて10/22まで販売中。チケットぴあPコード 461-303)
開場時間:上映開始10分前
*すべてデジタル・プロジェクターによる上映となります。

『快楽の園』 Il giardino delle delizie
10/23(金)21:00~/10/25(日)19:10~/10/26(月)21:10~

『クワルティエーレ 愛の渦』 Quartiere
10/24(土)21:00~/10/26(月)19:10~/10/27(火)21:10~

『カーネーションの卵』 Uova di garofano
10/25(日)20:45~/10/27(日)19:10~

『罪のスガタ』発売記念 ~アゴスティ独占インタビュー~

 2009年11月30日、ローマ、映画館アッズッロ・シピオーニ前。午後5時、大雨の中シルヴァーノ・アゴスティ氏が自転車で登場。映画館の開館作業を行い、キャッシャーの前に立ったアゴスティ氏。携帯電話のカメラによる写真撮影を終えた後、インタビューが開始する。
  
ハムエッグ大輔(以下、ハムエッグ):こんばんは(よい夜を Buona sera)、アゴスティさん。

シルヴァーノ・アゴスティ(以下、アゴスティ):よい人生を(Buona vita)。

ハムエッグ:(相変わらずだなあ、と笑いつつ)またインタビューができることになってとてもうれしいです。まさに今日、翻訳されたあなたの本としては二作品目となる『罪のスガタ』が日本で発売されました。この本は三つの小説をまとめたもので…。

アゴスティ:裁判官、被害者、殺人者だね(下の写真はそれぞれオリジナル版の表紙)。
   
ハムエッグ:そうです。さて、今回は訳者であるポンデ雅夫のほうからも質問状を預かってきております。それに則して質問していきますね。まず、なぜ三部作となったのでしょう? どのような意図があるのですか?

アゴスティ:権力のある三人の男、一人は裁判官、一人は官僚、一人は大統領。この三人の男たちはみんな違ったタイプの犯罪者なんだよ。それを表現したくって。まず、裁判官は無意識の犯罪者。官僚は自己に対する犯罪者。なぜなら、彼自身が彼に罪を犯すものなんだ。自殺というわけじゃないけど、彼自身の罪。三人目は、罪を重ねて、キャリアをつんで、大統領にまでなる。彼はすべての政敵を殺す。だから、三人とも人生からもっとも遠い存在なんだ。人生というもののまさに対極にいる。

ハムエッグ:ぼくもこの三つの小説を読ませてもらいました。人生を謳歌する『1日3時間しか働かない国』とは…最終的には共通のテーマでもあると思うのですが…、この三部作はかなり異質の作品だと感じました。

アゴスティ:そりゃ違うよ。真逆さ。キルギシアの人々はみんな優しくて善良で…、でも今度の小説の三人の主人公は、高い社会的地位に恐ろしい犯罪性を隠している。彼らの女性関係も非常に興味深いんだよ。裁判官に特別な女性はいない。たまに売春婦を買うだけ。官僚には妻一人と愛人一人。大統領は…出会う女性全員。でも一人だけ違っていた。それは彼が殺人者であることを見抜いた女性。そこで彼は彼女と結婚する。そしたら誰も彼を訴えるものはいなくなる。

ハムエッグ:「私たち人間は誰しもが、裁判官、犠牲者、殺人者になりえる」とコメントされているとお聞きしましたが。

アゴスティ:そう。たとえば『殺人者』を読んだら、自分も殺人者になることがわかるんだ。なぜなら、殺人者には特殊な能力があって…。ここではそれは何か言わないけど、そんな能力があったとしたら、みんなこう思うんじゃないかな。「ああ、なんて素晴らしいんだ。でもきっと悪人だけを罰することにしよう」。でも実際は悪人だけを殺すにしても、殺人者は殺人者なんだ。

ハムエッグ:原作本の話になるのですが、この挿絵もおもしろいですね。『裁判官』にはフランシスコ・ゴヤ。『被害者』にはパウル・クレー。『殺人者』にはあなたの息子さんのイラストですか?
    
アゴスティ:えーっと、ゴヤの絵(上、左)は最も法というものに似ていたから。白と黒で描かれているところや、ペンのタッチがね。パウル・クレー(上、中央)は自由な精神、人生に似ているから。でも、狂気とも似ている。そしてロレンツィーノの絵(息子の作品、上、右)。彼がこれを描いたときは四歳だった。理性はまだ持っていなかったけど、創造性は持っていた。だからすばらしいものを創り出すことができたんだ。例えば校長が叫ぶときの絵はすごく奇妙で、衝撃的だと思う。

ハムエッグ:なるほど、おもしろいですね。ところで、この作品をつくったときは1990年代の最初ですよね。約二十年の時が経ったわけですが、この社会やそれが持っている問題に、何か変化はありましたか?

アゴスティ:うーん…。根本的には何も変わっていないと思うよ。権力者と被支配者の関係は。そんなわけでベルルスコーニはまだのさばっている。およそ権力者や政治家たちは、人生というプロジェクトにとってもっとも意味のない存在さ。真に独立した状態で生きているぼくには、この二十年、権力に何の変化も見出せなかった。昔はファシズムがあって、今は目に見えないファシズムがある…。空や大地といっしょで恒常的なものなんだろう。変化などないんだよ。

ハムエッグ:前のインタビューでも同じようなテーマのことを言っておられましたね。では、そんな変化のない現代社会において、たとえばアゴスティさんが注目している作家さんはいますか?

アゴスティ:うーん…、イタリア人ならエッリ・デ・ルーカ(Erri De Luca)かな。

ハムエッグ:ナポリの作家さんですね。元ロッタ・コンティーヌア(Lotta continua、「闘争は続く」の意)の。

アゴスティ:そう。あと外国人ならガルシア・マルケス。彼は『百年の孤独』という人生の書を創り出したんだ。でもいちばん好きなのは人の顔を読むことだよ。悲しい顔、優しい顔、疲れた顔…。この世界でもっとも偉大な作家は自然そのものなんだ。
 
ハムエッグ:では、最後に日本に読者のみなさんにメッセージをお願いします。

アゴスティ:この三つの小説を読む前に…、それぞれの小説の前置きとして書いてあるこれらのフレーズの意味をよく考えることをおすすめするよ。まず裁判官は「罪を意識させることこそ、唯一の罰である」(La sola condanna possibile è la consapevolezza del delitto.)。被害者は「『それで人間ていうのは?』『自分自身を信じることができる生き物、そして、自分の運命を愛することができる生き物のことさ』」("E gli esseri umani?" "Che possano credere in se stessi, che possano amare i loro desideri...")。そして殺人者、これがいちばん大事。「人間を閉じ込めている牢獄は目には見えない。だからこそ、その檻は破ることができない」(Le gabbie che racchiudono gli esseri umani sono invisibili, per questo le loro sbarre risultano invalicabili.)。これらの意味をよく考えて、真の意味での自由というものを探求するんだ。つまり、 誰だって四歳のときには最高傑作を創り出す可能性がある。なのにそれがだんだん仕事のための商品と化してしまう。これも似たようなことを前のインタビューで言ったかな? ぼくの作品は小説にしろ、映画にしろ、同じ宇宙の源から生まれて来るんだ。 (おわり)
  
 シルヴァーノ・アゴスティ『罪のスガタ』(Il giudice, La vittima, L'assassino、1992-1993年、リンマージネ出版)は、好評発売中です。

イタリア映画特集『アゴスティとモリコーネ』大阪初上陸!

内容がさらに充実!
 昨秋、京都・ボストン姉妹都市提携50周年記念[姉妹都市映画祭] にて、アゴスティ映画作品3作品を日本初公開し、たくさんの方々にお越しいただきました。

 今回は、大阪初上陸にあわせて、内容をさらに充実させ、前回ご覧になられた方にもおのたのしみいただけるように、企画を練り上げました。

 京都でご好評をいただいた3作品のほか、モリコーネの美しい旋律をご堪能いただける『人間大砲』を日本初公開します。さらには、特別上映として、アゴスティのフィルモグラフィーの中でも異彩を放つ衝撃の問題作『天の高みへ』や、イタリアドキュメンタリー映画界の巨匠パオロ・ブルナットがアゴスティを被写体にした『シルヴァーノ・アゴスティ 見えないものを見る人』をプログラムに盛り込みました。大阪ドーナッツクラブのメンバーによる座談会も開催します。

歴史あるシネマ 淡路東宝2
 昭和のムードが残る商店街の歴史ある映画館「淡路東宝2」を、丸々4日間、知られざる巨匠シルヴァーノ・アゴスティの映像世界で染め上げます。またとない機会をお見逃しなく!

 『アゴスティとモリコーネ』 
  ~イタリア映画界の鬼才~
  シルヴァーノ・アゴスティ監督の世界


映画祭チラシダウンロード

会場淡路東宝Ⅱ地図
      阪急電鉄淡路駅下車、西口(マクドナルドのある出口)から出て、淡路本町商店街をまっすぐ。
      郵便局のある角を左に曲がるとすぐ見つかります!

開催日:2010年2月11日(木・祝)~14日(日) 4日間

上映作品
<Aプログラム>
『快楽の園』 Il giardino delle delizie  ☆大阪初公開☆

1967年/イタリア/74分
監督・脚本:シルヴァーノ・アゴスティ。
撮影:アルド・スカヴァルダ/ヴィットーリオ・ストラーロ
音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:モーリス・ロネ/イヴリン・スチュワート/レア・マッサリ

<Bプログラム>
『人間大砲』 L’uomo proiettile  ☆日本初公開☆

1995年/イタリア/86分
監督・脚本・撮影・編集:シルヴァーノ・アゴスティ
音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:ブルーノ・ウォルコヴィッチ/パオラ・アゴスティ/ジュリア・ボスキ
ヴェネツィア国際映画祭・モントリオール世界映画祭・ニューデリー国際映画祭正式出品
イタリア共和国大統領特別賞

<Cプログラム>
『クワルティエーレ 愛の渦』 Quartiere  ☆大阪初公開☆

1987年/イタリア/81分
監督・脚本:シルヴァーノ・アゴスティ
音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:パオラ・アゴスティ/ロレンツォ・ネグリ/ニーノ・マンゾーネ

<Dプログラム>
『カーネーションの卵』 Uova di garofano  ☆大阪初公開☆

1991年/イタリア/103分
監督・脚本:シルヴァーノ・アゴスティ
音楽:ダニエーレ・ヤコノ
出演:フェデリーコ・ザノーラ/ルー・カステル/アラン・キュニー

<特別上映プログラム>
『天の高みへ』 Nel piu’ alto dei cieli  ☆日本初公開☆

1976年/イタリア/83分
監督・脚本:シルヴァーノ・アゴスティ
音楽:ニコラ・ピオヴァーニ
出演:リヴィオ・バルボ/エディー・ビアジェッティ/ジョルジョ・ボノーラ

<13日ゲストトーク限定上映作品>
『シルヴァーノ・アゴスティ 見えないものを見る人』 Il senso del mistero  ☆日本初公開☆

2003年/イタリア/30分
監督:パオロ・ブルナット
出演:シルヴァーノ・アゴスティ/ファビオ・ヴォーロ
ヴェネツィア映画祭ニュー・テリトリー部門正式出品

*すべてデジタル・プロジェクターによる上映となります。

上映スケジュール
2月11日(祝) ~ 14日(日)
11(祝)=11:00【特】 13:00【A】 15:00【B】 17:00【C】 19:00【D】
12(金)=11:00【A】 13:00【B】 15:00【C】 17:00【D】 19:00【A】
13(土)=11:00【B】 13:00【C】 15:00【D】 17:00【短】 19:00【特】
14(日)=11:00【C】 13:00【D】 15:00【A】 17:00【B】 ------


料金
☆前売券(1プログラム)¥1300 (2プログラム)¥2200
  前売券は、チケットぴあ(461-614)、ローソン・チケット(53749)にて23日(土)から発売開始!
☆当日券(1プログラム)一般¥1500 学生¥1300 中高生・シニア¥1000
 ※(2プログラム以上)続けてご鑑賞の場合、ご入場の半券提示にて以降は¥1000
☆通し券(5プログラムセット)¥4500 *当日窓口のみで発売    
※但し、13日(土)夕方開催の 「短編+ゲストトーク」プログラムは、別途当日のみワンコイン¥500均一

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