大阪ドーナッツクラブ  >>HOME  >>プロフィール >>お勧めリンク
笑いを知りたければ、彼に聞け。実力と人気を兼ね備えたイタリアを代表するコメディー作家。
コミカル・トラジェディー 前編
  コメディー作家であるカンパニーレ。そのコメディーの真髄を極めた作品がコチラ『コミカル・トラジェディー(Tragedie in due battute)』。1978年にこの題名で発表されたのですが、その原型が初めて世に出たのは1924年、彼が24歳の頃です。さらに彼がそれを書き始めたのはもっと以前、高校時代からだったとか。コンセプトはいたってシンプル。二つのセリフを基本とした短い言葉のやりとりが、劇場風に進行していくというものです。そして『コミカル・トラジェディー』が出版された同年に書かれた自伝において、彼はこう語っています。「今までに、およそ2528の劇場用の作品をつくった。その内2000は二言で終わる」。なんという強者でしょう。その真髄ここに見たり。というわけで、この作品集を扱って、彼のコメディーを紐解いていこうと思います。しかし、その前にとっても大切なテーゼを一つ。作品タイトルにもなっている battute とはなんでしょう。

  (上の写真が『コミカル・トラジェディー』。以下、ページ数はリッツォーリ社から2000年に刊行された版のものです。Achille Campanile, Tragedie in due battute, 2000, Rizzoli, Collana Opere di Achille Campanile.

  単数形だと battuta で小学館のイタリア語辞書をパラリめくると「しゃれたせりふ(答え)、受けをねらったせりふ」と書いてあります。日本語一語で言うと「ギャグ」ってところでしょうか。ここで言うギャグは狭義のギャグです。つまりひねりのある答え方というか。機転のきかせバシっと切れのいいボールを対話者に返す。そのボールこそが battuta です。それは日常会話でもよく使うイタリアの笑いの基本です。日本語に転換すると、「ん? どこがおもしろいんや?」と笑いのギャップに苦しむことも多々あるのですが、それは感覚の違いであって、決して日本人の笑いのセンスが優れている、欧米の笑いのセンスが劣っているというわけではありません。日本の局地的な笑いがイタリアで通じないように、イタリアにも日本で通じない局地的な笑いがあるという話は、アキッレ・カンパニーレ、悩ましき翻訳対談「割れないグラス(仮)」第一回で話題にしました。もっと言うなら、欧米の「おもしろくなさ」を逆手に取った日本のお笑いがあるように、イタリアにも日本をバカにしたお笑いが存在します。(僕が見せてもらったのはアメリカ横断ウルトラクイズみたいな日本の番組を、適当に編集してめちゃくちゃなアテレコをするというもの)お互い様なのです。それは二律背反、永遠に絡み合えない二本の糸、水と油なのであります。



  しかしそんなコメディーを分かり合おうと、日夜努力する者たちがいた。そう、それがわれわれ大阪ドーナッツクラブメンバーズである。今回はその笑いのどこがおもしろいのかという解説、笑いの掟の中でいちばんやってはいけないさぶいことを、敢えてしてみたいと思います。百聞は一見にしかずってことで『コミカル・トラジェディー』の中からまず一作品取り上げてみましょう。

  題名:運命 (p.43)
  登場人物:細菌、細菌の父
  細菌「パパ、ぼくが大きくなったら、時計買ってくれる?」
  細菌の父「バカか、おまえは大きくならねえよ」 (おしまい)

  おー。いかがですか? こんな感じでずっと続くんですけど、これはいちばんオーソドックスなやつですね。細菌が小さいというのが話の肝ですが、それは誰もが理解できるオールマイティな笑いですね。



  続いてステップ2。先述した局地的な笑いですが、具体的にはどういうものか考えてみました。まずそれは大衆文化に基づいたものです。例えばこちら。

  題名:憲兵の恋人 (p.68)
  登場人物:彼女、憲兵、通行人
  幕が開けると憲兵とその恋人が急ぎ足で歩いている。
  通行人(憲兵に)「逮捕したのかい?」
  憲兵「何が逮捕だ? 俺の彼女だぞ」
  彼女(泣きながら)「
この先もずっとこう言われ続けるんだわ!」 (おしまい)

  ここでのポイントは、憲兵がイタリア人にとって馬鹿にされる存在であるということ。イタリアには警察官(poliziotto)とは別に憲兵(carabiniere)という職が存在します。仕事という点で警察官とどういった違いがあるのかよくわからないのですが、なんしか憲兵用の制服を着ています。それがひどく仕事のできないやつらというレッテルが貼られ、笑い話の種になっているのは有名な話。それを理解した上でこの作品を読むと、「ああ、また憲兵が馬鹿にされてるよ…」とおもしろみが増幅するわけです。それを嘆く彼女のセリフがコミカル・トラジェディー。



  もう一例、局地的な笑いということで方言をネタにしたお話。

  題名:馬に乗って行った (p.101)
  登場人物:ローマの歯医者、そのローマの友達
  場面は満員のちんちん電車の中。乗客がたくさんいる。幕が開けると乗客たちに混じってローマの歯医者とそのローマの友達が。当然ローマ弁で会話をしている。仕事の道具が入った、いかにもなカバンを携えている。ペンチ、手鏡、ドリル、それに装着用の差し歯のサンプル。
  ローマの歯医者「俺が歯をどうしに行くと思う?」
  友達「それをつけに行くのか?」
  ローマの歯医者「いや、逆だ」 (おしまい)

  これを読んでくすりと笑えた人はいますぐコンピューターの電源を切って、精神病院に向かってください。正常ではありません。この作品のどこに笑いが? これはもう残念なことにイタリア語のままじゃないとわからないです。まず友達のセリフ「それをつけに行くのか?」。これは歯医者が差し歯をもっているものだからそのように推測したわけなのですが、これを原文に戻すと Vai a méttelo? 。ここで注意すべき点はセリフの後半。本来のイタリア語なら動詞の原型+代名詞で metterlo? と r を発音するのですが、ローマ弁では省略するのです。例えばイタリア語の Che stai a fare? は、Che stai a fà? (何してんの?)。Devi venire! は、Devi venì! (来なくちゃだめだよ!)といった塩梅です。「歯をつけに行く」ことの逆は「歯を引っこ抜きに行く」こと。それをイタリア語にすると Andare a cavarlo. それをローマ弁にすると cavarlo の r が取れて、語調を合わせるために l を二重にします。つまり Andare a cavallo. そう、作品タイトルの「馬に乗って行った」→ Andava a cavallo (ローマ弁で「それを引っこ抜きに行った」)が言葉遊びとして成り立つわけです。ややこしい説明になりましたが要は方言を使った言葉遊び。日本でいうところの「チャウチャウちゃうんちゃう?」と同じノリです。



  続いては俗文化じゃなくてもっと知的な水準に基づいた笑い。それを探ることでイタリアの文化的教養とは何かもちょっとわかってきます。

  題名:詩人の火遊び (p.8)
  登場人物:ダンテ、ダンテの妻
  ダンテの妻「わたしって嫉妬深いのよ。とってもベアトーチェに妬いてるの。呪い殺してやりたい」
  ダンテ「気にすんなよ。その女と俺の間には何もなかったんだから」 (おしまい)

  これはイタリア文学の始祖、ダンテ・アリギエーリ(Dante Alighieri、1268〜1321)を登場人物としています。ベアトリーチェ(Beatrice)とは彼が9歳のときに出会った運命の女性。ですが1290年、若くして亡くなります。ダンテは彼女の美と永遠性を作品『新生(La vita nuova)』の中で表現します。ゆえに、ベアトリーチェに対する愛とは、作品の中で昇華された神聖なものであり、実質的な肉体関係はなかった。という下敷きがあった上で理解できる話なのです。さらに加えて、歴史上の人物であるダンテが現代スケコマシ風のセリフを吐くというところがおもしろいポイントです。



  題名:コロノスのオイディプス (p.15)
  登場人物:番兵、使者
  テーベの鉄の城壁の前で。銅の大門には閂がかかっている。その後ろの城壁の上で番兵が行ったりきたりしている。使者が到着するなり、大門をたたいた。
  使者「オイディプスはいらっしゃいますか?」
  番兵「いや、コロノスにおられる」 (おしまい)

  こちらはギリシャ神話のコメディ。オイディプス(Edipo)はギリシャ神話にでてくるテーベという国の王様です。彼はそうとは知らずに父を殺し、母と肉体関係を持ってしまいます。使者の伝達がきっかけで真実を知り、そのショックから自らの目を傷つけ失明し、テーベを離れ放浪をはじめます。そしてその果てたどり着いたのがコロノスの森です。そのオイディプスの人生を基にギリシャ三大悲劇作家の一人ソポクレス(Sofocle)が作品を作ります。テーベの王になったころからその衝撃の真実を知り、放浪の旅を始めるまでを描いた『オイディプス王(Edipo re)』。そしてコロノスにたどり着き、その悲劇の生涯を遂げるまでを描いた『コロノスのオイディプス(Edipo a Colono)』。カンパニーレ版『コロノスのオイディプス』は使者がテーベに訪ねてきた時点で、もうとっととコロノスに行っちゃってるというのが笑いのポイント。話のキーパーソンである、オイディプスが一つの作品から、違うもう一つの作品へとスリップしているというわけです。

  とても長くなってきたので後半に続きます。

  <文:ハムエッグ大輔>

  ▲このページのトップへ戻る


大阪ドーナッツクラブへのお問い合わせ・ご質問・ご要望などは、
以下のアドレスまでメールをお寄せください。

info*osakadoughnutsclub.com (*を@に変更してご利用ください)
Copyright 2005-2008 Osaka Doughnuts Club "Almost" All Rights Reserved.