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笑いを知りたければ、彼に聞け。実力と人気を兼ね備えたイタリアを代表するコメディー作家。家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| コミカル・トラジェディー 後編 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| さて、もう何例か『コミカル・トラジェディー』の笑いにお付き合い下さい。前編のローマ弁の話でも少し触れましたが、言葉遊びの笑い。いわゆる駄洒落ですね。 題名:いわくつきの女と口の悪い男たち (p.9) 登場人物:第一の男、第二の男 場面はどこかそこらへん、二人が会った場所である。幕が開けるとと二人は話をしている。 第一の男「それであの女はなんなんだ?」 第二の男「16人の汚ねえサド野郎をたらしこんだってよ」 (おしまい) これは日本語でもちょっとおもしろいですね。「(彼女は)16人の汚ねえサド野郎をたらしこんだ」をイタリア語に戻すとseduce sedici sudici sadici 分解するとseduce(動詞:誘うの三人称単数形) sedici(名詞:16人) sudici(形容詞:汚いの複数形) sadici(形容詞:サディスティックなの複数形)。似た言葉を繰り返しています。 題名:ロマンチック・バカンス (p.190) 登場人物:ペロット氏、その友達 山間の小さな町の夕べ。駅馬車が到着するところである。村人たちが待っている。その中にペロット氏の友達がいる。彼はペロット氏にその小さな町に、数週間休暇として滞在させてくれと頼まれていたのだ。ペロット氏はその駅馬車で到着するはずだ。さあ、駅馬車が到着し、停まった。闇の中で町の灯りがきらきらしている。こけないように気をつけながら、ペロット氏がのたのた降りてきた。友達が夕闇を手探りで進み出た。 友達(駅馬車からのたのた降りてくる人影に向かって)「ペロット、きみかい?」 ペロット氏(夕闇の中で)「48」 (おしまい) これもイタリア語の言葉遊び。友達のセリフ「ペロット、きみかい?」をイタリア語にもどすとSei Perotto? これを分解するとSei per otto(6×8は?)それに対しペロット氏は「48」と答えたわけです。まるで長編小説の一部のような背景描写からいっきにペロット氏のキャラまで見えてくるそんな一コマ。こういうおもんないギャグ、いつも言うイタリア人のおっさん、実際いそうやしな〜。 次は少し角度を変えて、カンパニーレのコメディーにはもう一つ大事な要素があります。それは状況設定。シュチュエーション・ジョークとでも言いましょうか。ある状況を設定してそこから笑いをひねり出す。例えばこちら。 題名:2本の機関車 (p.20) 登場人物:機関車その1、機関車その2、旅行者たち、荷物運搬人、汽車などなど 今世紀(20世紀)の初めごろ、まだ汽車が石炭で動いていた頃。 場面はある駅の中、プラットホームの屋根の下。停止中の汽車が線路の上で平行して並んでいる。そのまわりではたくさんの人々が、急いで、さわがしく行き来している。カーボン機関車の煙漂う空の下、駅はいつも通りごったがえしている。 二階のプラットホームでは機関車その1とその2が、それぞれ二車両連結している。 幕が開くと、機関車その1が出発のために煙を吐き出した。 機関車その1:(煙を吐き出しながら、煙を吐き出さずに横にいる機関車その2のほうを向いて)「煙、ご迷惑ですか?」 機関車その2:「いいえ、とんでもない。どうぞ煙をおだし下さい。私とて煙をだしますから」(煙を吐き出しはじめる) (おしまい) 場面は駅です。活発に文明化が進むヨーロッパの一コマですね。この2車の会話ですが、レストランや電車のコンパートメントで相席になった知らない人に対し、たばこを吸ってもいいか聞くときの文句です。それを煙を出す機関車にあてはめたところに笑いがあるわけです。本来は紳士同士のスマートなトークなのに、状況をまったく違うものに設定することでとてもおかしくなったわけです。この作品は機関車トーマスの先駆けですね。 題名:好奇心が生まれたとき (p.16) 登場人物:好奇心の父、看護婦 場面はある産婦人科の廊下。両側に扉がある。医薬品と包帯をのせたゴムタイヤのカートが、看護婦に押されて静かに通り過ぎていく。幕が開けると、その場には好奇心の父がいる。病室の一つでは、その妻が待望の子供を産み出さんとしている。子の誕生を待っているあいだ、父は不安にとりつかれ、神経質に歩き回っている。記述するまでもなく簡単に想像できる。彼は耳を傾け、声を聞いて万事うまくいったか確認しようとした。すると妻がいる部屋のドアが開き、一人の看護婦がでてきた。彼女のほころんだ顔が、もう一度、大きな喜びを持って出生という甘美な神秘が起こったことを伝える。 好奇心の父:(心配そうに)「それで?」 看護婦:(笑顔で)「女の子です」 (おしまい) これもよくあるシュチュエーション。父が今生まれんとしている子供を待っている。子供が生まれると、部屋から看護婦が出てきて性別を告げる。「おぎゃー」と言う泣き声が聞こえはっとする父親の姿が目に浮かびますね。ここでのヒネリは生まれてくる子が「好奇心」であるということ。そしてそれが女の子であるということ。それはイタリアのことわざ「好奇心は女の子(La curiosità è femmina.)」に基づいます。ことわざの意味的には、「えてして女性は好奇心が旺盛であるもの」といったところです。このようにあるあるシュチュエーションで笑いを誘う作品は、『コミカル・トラジェディー』の中に多く見受けられます。 題名:そこらへんで聞かれる会話 (pp.76-77) 登場人物:ある男、もう一人の男 幕が開くと、ある男が何か言っている。もう一人の男がちょっとためらいながらうなずいている。 もう一人の男「そう、そう。いや、ちがう」 ある男「そうなのか、ちがうのか?」 もう一人の男「そうでもあり、ちがうともいえる」 ある男「ちがうのか?」 もう一人の男「そうだ」 ある男「そうか?」 もう一人の男「そうだ」 (おしまい) 会話が「はい( sì )」と「いいえ( no )」だけで構成されるこの作品。たしかに「なんやねん、どっちやねん」みたいな状況は日常でよく起こりがちですよね。前2作品とはタイプが違いますが、これもシュチュエーションコメディー。 さて、前編の冒頭部分で、イタリアと日本の笑いの差を踏み越えていくみたいなことを書きましたが、結局のところ笑いの要素としては、日本もイタリアも同じなのかなあという気がしてきました。扱う題材に文化的な違いがあるってことですね。『コミカル・トラジェディー』が出版された年代を考えても、お笑い古典に属すると思います(右の写真は、1995年度版の表紙)。その短いバットゥータによるやりとりは、初期手塚治虫の4コマ漫画や、『ノラクロ三等兵』を連想させます。それと一点。『コミカル・トラジェディー』で描かれているカンパニーレの笑いには、知的なほのめかしが多分に含まれています。短い話でぱっと読めるのですが、それだけでは「ん? どういうこと?」となる場合がよくある。そして読み直し、ちょっと考えて「あー、そういうことね…」と理解できる。その部分にある、大爆笑ではなく、にんまりとなってしまう笑いこそが、カンパニーレ最大の妙であると思います。そんなお笑い古典知識人、アキッレ・カンパニーレ。説明を付記しなければなれない文化的な笑いの違いはあるものの、彼の作品を邦訳出版する価値は十二分にあるのではないでしょうか。 <文:ハムエッグ大輔> ▲このページのトップへ戻る |
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