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笑いを知りたければ、彼に聞け。実力と人気を兼ね備えたイタリアを代表するコメディー作家。家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ウモリズモだよ、人生は その3 〜カンパニーレとセッテベッロ〜 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ウモリズモを冠にした媒体、その名もウモリズモ雑誌(periodici umoristici)が生まれたのは1920年代のことでした。それ以前から各新聞に載っていたカリカチュアを前面に取り扱った媒体で、その風刺の対象はもちろん、当時権力を掌握したムッソリーニ(Benito
Mussolini)でした。その歴史を、代表的な雑誌と共に振り返ってみたいと思います。 『ベッコ・ジャッロ』 Il Becco giallo 黄色いくちばしの意。1924年創刊。同年ムッソリーニは「今日、新聞の伝えるニュースが、国家にたいへんな損害をもたらすものであるということを繰り返し啓発しなければならない」と書き記しています。その言葉の通り、国家にたいへんな損害をもたらすと考えられた『ベッコ・ジャッロ』は、創刊から2年あまりでムッソリーニの手により廃刊、編集長だったアルベルト・ジャンニーニ(Alberto Giannini)はパリへ亡命を余儀なくされたのでした。その後、戦争が近づくにつれ(ファシズムが力をつけるにつれ)、ウモリズム雑誌からムッソリーニを扱ったカリカチュアは消えていきます。 ![]() ムッソリーニの靴磨きをする二人の男に向かって、紳士が一言「そいつを終わらせるのにまだだいぶかかりそうか?」※「靴磨き」はイタリア語で「おべっか使い」(lustrapiedi)という意味。靴を磨く二人の男の帽子には各々「トリブーナ」、「セーコロ」と書かれている。どちらも当時のイタリアを代表する新聞社。 『マルクス・アウレリウス』 Marc’aurelio 1931年、ローマで創刊。まだ編集長を務めていた当時23歳のヴィート・デ・ベッリス(Vito De Bellis)が、もともと熱心な読者だった後の大映画監督フェデリコ・フェッリーニ(Federico Fellini)を見出すなど、次々と新しい才能を登用します。その他、ステーノ(Steno)、マリオ・モニチェッリ(Mario Monicelli)、前回取り上げたザヴァッティーニ(Cesare Zavattini)など、来る時代の映画人が育つ場となっていたというのもウモリズモ雑誌の特徴といえます。 ![]() フェッリーニが描いたカリカチュア 『ベルトールド』 Bertoldo 1936年、ミラノで創刊。その設立に携わったのは今も大手出版社として名を残すアンジェロ・リッツォーリ(Angelo Rizzoli)。彼が人気作家であるザヴァッティーニとけんか別れしたのも有名な話。このころになると、ファシズムを馬鹿にするカリカチュアは消えるものの、黒人、フランス人、ユダヤ人や女性に対して、現代から考えると驚くほど差別的なカリカチュアが見られます。 ![]() 人食い人種:朝ごはんを持ってきたぜ 『セッテベッロ』 Il Sette bello 1933年、『マルクス・アウレリウス』などに対抗してローマで創刊。名前の由来は、イタリアのカードゲームの中の一枚のカードで、「コインの7」を意味します。そのカードを用いたスタンダードなゲーム、『スコーパ』(Scopa)では持っているだけで点数に加算される最強のカードです。全号通して紙面タイトルの真下に「セッテベッロの前では、どんな理屈も通じない」(Davanti al Settebello, non si ragiona più)と記されています。しかし実際のところは最強ということもなかったようで、経営難から幾度となく人事が動き、紙タイトルも変更されたのでした。そんな中、1938年からは大手出版社モンダドーリの傘下となり、ザヴァッティーニとカンパニーレの共同主催という形がとられます。 ![]() その『セッテ・ベッロ』において、時に辛辣に、時に怒れる口調でザヴァッティーニは前回お話した通り『手紙』というコラムを連載しました。いっぽうカンパニーレはコラム(そのタイトルは時々によって変わります)と『親愛なる悲劇』(Tragedie intime)という『コミカル・トラジェディー』で見られるような二言ギャグ(実際にそのいくつかは『コミカル・トラジェディー』に収録されています)を紙に寄稿します。ザヴァッティーニのテンションとは違い、カンパニーレの書く文章からは、あくまでとぼけた調子が伺えます。そのコラム『考える人の考え』(Pensieri dei pensatori)の中から一つ取り上げてみましょう。 よくわからないふるまい 大阪の観測所のえらいさんたちは、ずいぶん前から地震を予測する方法はないかと研究を続けている。 「何のために?」とみなさんおっしゃるでしょう。 「何のために」とはどういうことですか。何よりもまず、地震が来るという楽しみを前もって喜ぶためです。そして例えば、次週これこれの町ですばらしい地震が起こるのがわかっているなら、その町を観光するための臨時列車が出せますし、町に住む人たちは、大揺れするだろう場所を楽しむための観光グループを集えます。つまり偉大な自然現象を楽しむためのさまざまな方法が、事前に計画できるわけです。 そこで大阪の地震学者たちは、地震を予測するためになまずについて研究しています。 「どう関係があるの?」とみなさんおっしゃるでしょう。 そのとおりです。なまずと地震には何の関係もありません。巨大ななまずには何も感じないですが、巨大な地震には衝撃を受けます。また地震のために避難するというのは聞きますが、なまずのために避難するというのは聞いたことがありません。 しかし誰もが各々好きな魚を研究していいはずです。私はリヴォルノ風メバルについて心血を注ぎ研究を続ける学者と知り合ったことがあります。その男はいつも首にナプキン、手にはフォークという格好で、トマトソースが絡んだ興味深いその魚の研究に明け暮れていました。 そして大阪の研究者たちは、地震が近づくとなまずはそわそわして、食欲をなくすことを発見しました。ごく当然のこととしてこの事実を受け止め、もし次に地震が起こるとき、なまずに食欲がなかったらおかしなことだ、とみなさん思われるでしょう。そのとおりです。なまずが地震の動きを予兆することは確かなので、地震についての諸問題はすべて解決しました。カナリア、犬、猫などではなく、なまずを家に飼ってください。それを注意して見ていれば、すべての人がいかなるときでも地震が起こりそうか知ることができます。 地震を楽しむことができない人は、なまずの食欲がないのに気づいたらすぐに安全な場所に逃げてください。念のため、時折折りにその親愛なる生き物にエサを与えてみてください。喜んで食べれば何の問題もなし。そうでなければできるかぎり避難しましょう。 しかし、この興味深い発見を知らせる新聞は、次のように話を結んでいます。「なまずにおいて、おおよそ同一の兆候が、他の現象が近づいたときにも確認された。また、地震が近づいてもその兆候が認められない場合もあった」。つまり、大阪の研究者たちのこの重大な発見は、こうまとめることができる。地震を予測するために、なまずを飼ってそれに注意を払う。なまずの食欲があれば、おそらく地震は起こらないだろう。しかしもしかしたら起こるかもしれない。逆に食欲がないとき、地震は起こるかもしれない。しかし起こらないという可能性がないこともない。その場合は地震ではない、他の現象が起こるかもしれないし、何も起こらないという可能性を除外することもできない。 要は地震前のなまずのふるまいはよくわからないということだ。 まあそれについて何かもっとわかりましたら、またみなさんにお伝えします。 カンパニーレが表現する笑いとはなんでしょう。ウンベルト・エーコ(Umberto Eco)はそれを「教養あるウモリズモ」(Umorismo colto)であると説明しています。文化的教養を下地にした笑い、日常的なシチュエーションや決まり文句を逆手にとった笑い、言葉遊びの笑い(詳しくは『コミカル・トラジェディー』参照)。つまりは既存の文化や生活を破壊するカンパニーレの笑いこそが、本当の意味で反体制、反政府につながるのではないか、とエーコは言います。 カンパニーレは政体(ファシストのこと)に属するウモリスタにはなれなかった。なぜなら、生まれ来る政体と、その温床、その過ちのもっとも深い部分にあり、真剣に受け止められる大衆的な文学を攻撃していたからだ。 風刺や政治批判を含んだ笑いの中で、批判を目的としたのではなく、それを題材にして笑いを表現していたゴーゴリのような作家がいたという前回の話とは、ややパラドックスになっているかもしれませんが、一見なんら批判的でないカンパニーレの日常的な笑いこそが、風刺よりももっと高いベルで、社会や体制を攻撃できていると言えるのではないでしょうか。『マルクス・アウレリウス』の編集を担当していたフェッリーニも、後のテレビ番組で次のように証言しています。 いや、『マルクス・アウレリウス』は政治的ではなかった。今日考えられているような風刺は存在しなかった。せいぜい軽いジョークがあった程度で、反ファシズムは意識していなかったし、政治、生活、人間であるべき手段として提唱するところではなかった。『マルクス・アウレリウス』は言葉と言葉の冒涜を主として扱っていたんだ。猥談なんかにこそ当時の政治体制のレトリックや虚栄に反するものがあったしね。 1960年、RAI(イタリア放送局)からのインタビューを拒んだカンパニーレは、放送局側の要求に対し、一冊の劇作品を書くことで答えました。そのタイトルは『自画像』(Autoritratto)。カンパニーレが、家に訪れてきた歴史(La Storia)という名の女性といっしょに、今までの自分の作品を振り返るという内容です。劇作品の体をとっているものの、内容は完璧に自伝と言って差し支えないでしょう。奇しくもカンパニーレは、ゴーゴリと同じ手法で自分の考えを読者に伝えたのでした。さらに、登場人物であるカンパニーレは、やはりここでもコミカルでとぼけたキャラクターとして描かれています。美女の歴史を前に、カンパニーレは楽しそうに自分の作品を思い起こします。そして劇の中盤、カンパニーレは一つの小喜劇を紹介します。 2両の機関車 登場人物:機関車その1、機関車その2 ある駅の中。注意:当時、列車は蒸気で動いていた。だから2両の汽車は煙を発するのである。停止中の汽車が線路の上で平行して並んでいる。幕が開けると機関車その1が出発のために煙を吐き出し、機関車その2のほうを向く。 機関車その1(機関車その2に)「煙、ご迷惑ですか?」 機関車その2「いいえ、とんでもない。どうぞ煙をお出し下さい。私とて煙を出しますから」 続いてカンパニーレは誇らしげに解説します。 この喜劇が発表されることはなかった。もし紹介されていたら、口笛(によるヤジ)があったにちがいないと思っているよ。機関車が発する口笛といっしょにね。 時代的なことを考えると、機関車1と2は、ヒットラーとムッソリーニのメタファーと受け取れます。農奴を取り扱ったゴーゴリの笑いに政治色はなかったのに対し、『2両の機関車』は、時の独裁者を揶揄することで笑いの深みが増しています。このように笑いのポイントは作品、時代、書き手のスタイルによってフレキシブルに移動し、ぼくたちを笑いの渦に突き落とします。だからそんな笑いのメカニズムの中で、ウモリズモを定義することは、クローチェ(Benedetto Croce)が言うように不可能です。結局のところ本屋が本棚に並べたように、笑えるものすべてをウモリズモと言っていいかもしれません。そんなこと言ったら長々書いてきた今回のシリーズの目的も意味もなくなってしまいますが。とにかくカンパニーレは揺れ動く時代の中で、自分のスタイルを貫き高尚な笑いを表現する作家だったのは間違いないでしょう。ウモリズモだよ、人生は。線路は続くよどこまでも。 <文:ハムエッグ大輔> ▲このページのトップへ戻る |
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