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ドーナッツたちのコラム

悩ましき翻訳の日々
このコーナーの説明

  「悩ましき翻訳の日々」では、第一稿としてざっと訳したものを掲載。荒削りなものを生まれたての姿でご覧にいれてしまいます。その後、メンバーがこの「悩ましき翻訳対談」上(左のリンクからご覧ください)であれやこれやと討議を重ね、完成稿まで練り上げていきます。
  当然ながら、第一稿と完成稿は似ても似つかぬものになることが予想されます。しかし、翻訳作業とはそもそもそういうものです。一般に人が翻訳作品に触れるとき、当たり前のことですが、目にするのは完成稿だけです。翻訳家がどのような経路を辿ってそこに行き着いたのかを知ることはできません。翻訳家の苦悶については想像することしかできません。けれども、翻訳ができあがっていく過程って面白いものだと思うんです。ささやかなりとも日常的に翻訳をしている僕たちはそのことに気づいていたので、そのプロセスそのものを公にしていくことにしました。
  メンバーが翻訳を進めていく上での、あれやこれや、なんやかんや、すったもんだ、てんやわんやをご賞味していただこうと思ったわけです。工場見学みたいなもんです。あれって誰でも多かれ少なかれわくわくしますよね。翻訳に興味がある人もない人も、イタリア語に興味がある人もない人も、そもそも文学に興味がある人もない人も、どうか楽しんでいってください。

『新米の床屋(仮)』下訳

  俺は決然として床屋へ入った。無尽蔵にのびきったこのうっとおしい髪の毛と一刻も早くおさらばしたかったのだ。ただでさえ蒸し暑いのに、こんなむさくるしい髪がまとわりついていては頭が何だか重くなる。頭どころか、脳みそから思考までずっしり重くなってしまうというものだ。

  床屋は低い椅子に腰掛けていて、サイドテーブルに雑誌を広げては漫画を熱心に読んでいた。俺の床屋はけっこうな年寄りで、こうやって毎度のこと漫画を読みふけっているのだ。この辺にある他の店から聞こえてくるアコーディオンやら何やらの楽器の音なんか一切耳に入っていない様子で、いつ見ても彼は漫画を読むことに必死になっている。だいたいが暇すぎるのだ。彼の店がこんな辺鄙な郊外にあるせいで、常連はほとんどが年寄りだったし、そもそもたまにしかやってこない。どうせ来たって、そいつらはおしゃべりしたり新聞を読むともなく読んだりするのが好きな連中だ。

  はやる気持ちを抑えきれなかった俺は、挨拶もそこそこにこう叫んだ「ひげと髪!」。

  俺の発した声でやっと我に返った床屋が立ち上がった。俺はすぐに気がついた。そいつはいつもの俺の床屋ではなくて、新米だった。あんな姿勢でいつもと同じシャツに眼鏡をかけて、おまけに顔つきまでそっくりときてるから、俺はそれまでそいつが新米だってことに気がつかなかったのだ。もう何年も慣れ親しんでる俺の床屋がいないってことに先に気づいていたら、あんなところには行かなかっただろう。要するに、彼の帰りを待つか、評判の高い別の床屋を選んでいたことだろう。とはいっても、俺はもうそこにいたのだ。いまさら散髪をやめるとは言い出せなかった。そうこうしているうちに、ゆったりとした手つきで気立てよく案内された俺は、じっくりとその男を観察しつつも、いつのまにか散髪台に腰掛けてしまっていた。



  俺はいの一番に気づいたのだが、その新米の床屋は…じいさんだった。俺の床屋を年寄りと定義するなら、こいつはさしずめ老いぼれといったところか。しかし、俺がさりげなく聞き出した情報には、さらに驚愕せざるをえなかった。この店の主人であるいつもの床屋はどうやら山へバカンスを過ごしにいっているらしいのだが、自分の代役として彼に、なんと父親に店を任せたというのだ。この話を聞いて何よりもまず驚いたのは、俺の床屋だってもうずいぶんな年なのに、あいつにまだ生きている父親がいたということだ。俺の想像の範疇外だ、そんなこと。

  その男をじっくりと観察してみてすぐさま度肝を抜かれたのは、彼の抜けるような蒼白さだった。どうみたって病気だ。例えば結核のような、あるいは白血病か極度の低血圧か。今にもへなへなと床に崩れ落ちてしまいそうだった。そうなれば、俺は厄介なことに巻き込まれることだってあるかもしれない。裁判所に呼ばれて証人にされたり、捜査を受けたり、場合によっては起訴されたりするかもしれない。それにしても、いったいなんだって俺は大胆にもこんなところに迷い込んでしまったんだ?どうして俺は散髪を頼む前にちゃんとこいつの顔を確認しなかったんだ?そうすりゃこんなリスクに身をさらす代わりに、八百屋の場所でも尋ねるだけにしておけただろうに。

  続いて俺の度肝を抜いたのは、彼の口の震えだった。俺は、例の病気が相当進行しているとの判断を下した。注意深く観察してみると、その口はぱくぱくとあえいでいて、俺の印象ではこいつはかわいそうにほとんど息を引き取る寸前だった。こんないまわの際の男を自分の代わりに店に立たせる息子の無責任さは、まったく俺の理解を超えていた。どう考えたって無責任な男に違いない。自分の父親ばかりか客の命までをも危険にさらすくらいなら、どうしていっそのこと休業の札をかけておかなかったんだ?

  そして最後に俺を震撼させたのは、彼の手の震えだった。彼がいったいどうやってこんなにデリケートで致命的な道具を(あの手で)扱えるのか、俺にはまったく理解不能だった。俺は今頃になって、どうして他に客の姿が見当たらないのかを理解した。恐らくは誰かが散髪の途中で怪我を負わされたかどえらい目に遭わされて、それが噂となって広がったんだろう。ただし、どういうわけかその噂は俺の耳には入ってこなかったんだ。

  まさにその瞬間、俺は散髪はもう結構だと言って逃げ出そうとした。それなのに、ふと俺は何だか彼が急にかわいそうに思えてきて、不覚にもじいさんに同情してしまった。もし俺がそんな素振りを見せたら、きっと彼は自分のことを役立たずだと感じて、残された日々を悲しみにくれながら暮らしていくことだろう。そんなわけで、俺は長髪がお気に入りだから毛先だけ整えてくれればいいと頼むことにして、とりあえずはその責め苦を甘んじて受けることにした。

  新米の床屋は仕事に取り掛かり、俺は天国にいるあらゆる聖人に片っ端から祈りを唱えた。多少は怪我をするかもしれないし、ひどい仕上がりになるかもしれない。しかし、「虎刈り」にでもされたら、俺はどの面下げて仕事に行けばいいんだ? 外を出歩けないぞ。いやいや、そこは我慢のしどころだ。別の床屋へ行って、ちゃんとラインを直してもらえばいい。俺のいつもの外見、俺のふさふさした髪が多少さびしくはなるかもしれない。それでも、怪我をするよりはましというものだ。



  作業はゆっくりと進行していった。その男の動きはゆったりとして、規則正しく、控えめすぎるくらいだった。よくよく考えてからでないと、一つ一つの行動を実行に移していなかったに違いない。俺は一刻も早くそんな時間が過ぎ去ってしまわないかと待ちわびていた。多少は虎刈りでもいいじゃないか、生きて、健康で、こんな悪夢から解放されることができるのであれば。俺は気を紛らわせようと新聞を頼んだのだけれども、その床屋はとにかく儲かっていなかったので、例の読むに耐えない漫画雑誌しか置いていなかった。そんなわけで、俺は仕方なくその馬鹿らしい雑誌で我慢することにした。

  はさみからバリカンを経て、ついにかみそりのときがやってきてしまった。これは、作業が決定的な局面に差し掛かっていることを意味していた。彼があの凶器を震わせているのを見るや、俺はパニックに陥ってしまった。か細い声で「やめて!」と叫んでしまった。俺は聖人ラザロみたいな目に遭わされたり、耳を切り落とされたりするのはごめんだったのだ。

  一瞬立ち止まった新米の床屋は、まるで魔法使いのような雰囲気だった。ダモクレスの剣を片手に振りかざし、もう一方の手は俺の頭を押さえているのだ。俺はそんな仕草の彼をじっと見つめた。そして、俺は自分の身を捧げるのももはやこれまでだと悟り、こう言い添えた。「どうか、そんなに強く頭を押さえないでください、痛いんですよ」彼はささやくように言った。「すみませんが、あなたが頭を逆側に向けようとなさるもんでね。あなたが頭を遠ざけてしまうんでは、私はどうしたって髭をあたれませんよ」。何だか彼が気まぐれに怖がる患者を諭す医者みたいに思えて、いつの間にか俺は諭されていた。俺はわずかに微笑を浮かべた。死の微笑だ。彼もそのお返しに微笑んでくれた。その間、俺は聖人アントニオにお願いをし、最寄の教会にどでかいろうそくを捧げに行くと誓ったのだった。

  まさにその瞬間から、新米の床屋は完全に俺の、いや俺の命と俺の死をつかさどる主人になった。血管をめぐる血はどくどくと下半身だか体の中心だかへと向かって流れていた。要するに脳みそからは遠いところへ。俺の顔は床屋よりも蒼白かったんじゃなかろうか。俺は気分が良くなかった。だから、俺はこんなところから一分一秒でも早く逃げ出せますようにとただそれだけを望みながら、拷問の最中に何を尋ねられても「はい」と言っていた。彼は俺の頭に何やら他にも色々とほどこしたかったのだ。それは彼の好意だったのだ。俺は「はい」と答えるだけで精一杯だった。

  突然、俺の耳に「できましたよ、だんな!」という声が飛び込んできた。にわかには信じがたかった。散髪は終わっていた。拷問は終わっていた。俺は生きていた。俺は元気だった。俺は自由だった。俺は体をほぐし始めた。

  俺がなかなか鏡に自分の姿を映せないでいると、男は手際よく俺をぐるりと一回りさせて自分の傑作を披露してくれた。怪我はしていなかった。散髪の具合は…いつもと比べても悪くはなかった。永遠と思えるくらい長かったけれど、まぁ何とか人前に出せるというか、いや、いい感じだぞ…

  「完璧です!」俺は普段の二倍は満足して、そう言い放った。

  俺は彼に二倍の料金を支払った。金を受け取りながら、彼は俺に向かって微笑みかけた。俺たちは目と目が合った。どうやら彼は俺に感謝と満足の念を表したいらしかった。あれだけの年齢で、しかもあんな体の状態では、こんな風に散髪をすることは容易ではない。自分の仕事を極めた職人の一人であるに違いはなかった。じいさんになろうとも、仕事はきちんとこなすことができるということを俺は理解した。当たり前だ! 彼は年老いたライオンだったのだ! まだまだ自分が何かの役に立つんだとわかって、彼はどんなに満足したことだろう!

  よくよく考えてみると、この新米の床屋はなかなか悪くなかったぞ。そのうち、また何度か行くことになるかもしれないな。

  =出典=
  Il nuovo barbiere, in STORIE PAESANE e altre novelle
  Carmelo Ciccia, CLUB AUTORI-EDITORI, 1977


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