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ドーナッツたちのコラム

悩ましき翻訳の日々
悩ましき翻訳対談 第六回
ポンデ さてと、いよいよ中程までたどり着いたね。
ハムエッグ そうですね。最初に比べるとペースが上がってきました。
ポンデ 先が見えると心も躍る。やりますか。
ハムエッグ やりましょう。
   
対象箇所   È accorsa mia moglie, che per fortuna non è un tipo nervoso. L'ho scelta apposta così, dopo anni di ricerche.
  "Via" ha detto "ora lo troveremo."
  Ci siamo messi a esaminare con la più grande attenzione tutti i bicchieri. Ma non c'era nessuna differenza. Ripeto: avevo cercato apposta un bicchiere infrangibile identico ai nostri del servizio. Alla fine mia moglie ha detto:
  "Mi pare questo".
  "Uhm," ho detto "a me pare piuttosto quest'altro."
下訳   妻がかけつけてきた。幸運にも彼女はいらいらするほうじゃない。私は何年も探し回ってわざわざそうゆう女を選んだのだ。
  「さあ、始めましょ 」妻が言った。「すぐに見つかるわよ」。
  私たちは最大限注意をしながら グラスを全部調べ始めた。しかしなんの違いもなかった。繰り返そう。私たちの持っている一式のグラス と同一 のグラスをわざわざ探してきたのだ。ついに 妻が言った。
  「これだと思うわ」
  「ううむ…」私は言った。「僕はむしろこっちだと思うな」。

   
23 L'ho scelta apposta così, dopo anni di ricerche.
私は何年も探し回ってわざわざそうゆう女を選んだのだ。
ポンデ 語り手の怒鳴り声に驚いて妻が駆けつけてくる。でも、妻は癇癪を起こすようなタイプではない。幸運にも。流れはこうだね。「幸運にも」(per fortuna)と言ったその舌の根も乾かぬうちに、「わざわざそういう女を厳選したんだ」と種明かしをしちゃってるところが何ともいいね。
ハムエッグ くつがえしちゃってますよね。
ポンデ くつがえしてるね。言ったそばからだもの。「お前が選んどるんかい!」となるわけだ。読者のツッコミも冴えざるをえない。
ハムエッグ そうしむけてるわけですね。わざと隙を作ってる。
ポンデ そういうことだろうね。
ハムエッグ 訳文自体はどうですかね?
ポンデ 意味の間違いもないし、特に違和感もない。ただ、強いて言えば…。
ハムエッグ 強いて言えば?
ポンデ 原文ではコンマの後に「何年も探し回って」が来てるよね。それが訳では主語とセットで頭に来てる。この語順通りするのは難しいとしても、読点で区切りつつ、どうにか単独にして持ち上げられないかなと思ってさ。
ハムエッグ 何年も探し回ったことをしっかり浮き彫りにしたい、そういうことですか? だったら、「何年も探し回って、私はわざわざそういう女を選んだのだ」とかいった感じにすれば、強調できますけどね。
ポンデ そのほうがいいんじゃないかな。基本的に赤裸々な語り手だけど、ここはやっぱりその隠し立てしない感じを前面に押し出したいからさ。「イライラすることのない女を探求し続けたんだよ、何年もね」というような真理を求める宗教家みたいな言いっぷりがいいなと思ってさ。
ハムエッグ なるほど、いい感じのずれっぷりですね、それは。じゃぁ、順序を入れ替えてそこは浮き立たせるとして、訳文の後半はどうでしょうね? ポンデさんはさっき「選ぶ」じゃなくて「厳選する」という言葉を使ってましたけど。
ポンデ そうね。何年もかけて選ぶわけだから厳選という言葉がぴたりと来るかなと思ったわけだけど、こうすると「わざわざ」とかち合う気もするね。
ハムエッグ かち合いますね、同語反復的だ。
ポンデ まずいね、それは。「わざわざ」は前にも出てきたでしょ? どこだったかな?
ハムエッグ apposta は前じゃなくて、この直後ですね。後で触れるところです。
ポンデ そうか、でも、かなり接近した箇所で連続して使ってる言葉だから、ここはどうしても訳文に入れておきたいんだよね。
ハムエッグ その通りですね。でも、そうすると「厳選」が使えなくなる。「わざわざ」か「厳選」か。厳選するのは俺たちの番ですね。
ポンデ うまいこと言ってる場合じゃないよ。でも、ここはそう悩む場所でもないか。「わざわざ」を優先させるべきだろう。
ハムエッグ 同意見です。そうしましょうか。
改定案 何年も探し回って、私はわざわざそういう女を選んだのだ。
 
24 "Via" ha detto "ora lo troveremo."
「さあ、始めましょ 」妻が言った。「すぐに見つかるわよ」。
ハムエッグ 割れないグラス探求宣言ですね。
ポンデ 妻のこの言葉から、いよいよ滑稽な悲劇の本編が始まるわけだ。これからの流れに比べれば、ここまでは序曲に過ぎないものね。
ハムエッグ Via ですよね、問題は。「さぁ、始めましょ」としましたけど、納得はいってないんですよ、自分でも。
ポンデ こういう掛け声は確かに難しいよ。軽くまとめれば、この単独で用いる viaは三つくらいの用法があるのかな。急激な動作を囃すような意味合いで「それ!」とか「あっち行け!」とかいうやつと、励ましというか鼓舞というか、「いいじゃねぇか」とか「よし」とか元気付ける感じのやつ、あとは話題を変えるときに「なんだそりゃ」とか「そんなばかな」みたいな感じの意味。う〜ん、分類になってないな、これじゃ。文脈しだいで日本語はどうにでもなるよね。
ハムエッグ 確かに。ここはどういうニュアンスなんでしょうね?
ポンデ 話題の転換と鼓舞・けしかけが混じった感じかな。ちょっと前までは夫と家政婦が揉めてたわけじゃない。それを見て、「何をしょうもないことでぐちゃぐちゃ言うてんの? こんなもん、さっさと見つけ出したらそれで済むことやろ? はいはい、かかったかかった」ということになるわけだから。
ハムエッグ 急に大阪のおばちゃんみたいになりましたね、これは。でも、確かにけしかけてる部分があるんでしょうね。それを出すにはどうしたらいいんやろう…。
ポンデ 「さぁ」はいいと思うのよ。この促してる感じ。でも、何か足りない気もするんだよなぁ、これだけじゃ。見るに見かねた彼女が意を決して事に当たる雰囲気が出ればいいと思うんだけどさ。「さぁ、やるわよ」とかね。
ハムエッグ う〜ん、そうですね。話してて思ったのはViaという語は、それだけでいろんな意味合いを含めてしまう魔法の言葉ですよね。だから日本語にするならやはり何かを付け足さざるを得ないとは思います。かといって「やるわよ」を付け足すと下訳の「さあ、始めましょ」とたいして変わりないですよね。ふりだし戻りです。何か納得いかなさが残るなあ。
ポンデ じゃあ、逆にハムエッグは何か案がある? ふりだしに戻らないような。
ハムエッグ 「さぁさ」なんてどうですかね? 俺は海外文学の昔の翻訳みたいな雰囲気が好きなんですよ。「さぁ」じゃなくて「さぁさ」。それっぽくないですか?
ポンデ 何となくわかるけどね。まぁ、実際に昔の翻訳でどれだけ使われてたかっていうのは定かではないところだけど、雰囲気はそうだね。何か「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」みたいな呼び込みというかけしかけというか、促してる感があるね。いいかもしれない。
ハムエッグ はい。先ほどポンデさんが言われてた話題の転換とけしかけが混じった感じを意外とカバーしてるんじゃないかと思います。
ポンデ そうね。振り出しに戻りかけたのが功を奏したというか、意外と原案をいじらないでいけたね。
ハムエッグ そうですね。
改定案 「さぁさ」と妻が言った。「すぐに見つかるわよ」。
 
25 Ci siamo messi a esaminare con la più grande attenzione tutti i bicchieri.
私たちは最大限注意をしながら グラスを全部調べ始めた。
ハムエッグ 最上級と全部という何かとマックスな言葉が並んでるんで、ここはちょっと重い感じがしますね。
ポンデ 僕の言おうとしてたことをさらっと言っちゃうね、君は。まったく君の言う通りだよ。最初から仰々しい言葉を並べ立てるんでなしに、導入は簡潔にいきたいね。「最大限注意をしながら」は日本語としても違和感があるからね、そうだな、例えば「細心の注意を払って」とか「眼を皿のようにして」とかはどう?
ハムエッグ 「細心の注意を払って」はいいですね、最上級なんだけど、表現が自然だし。「グラスを全部調べ始めた」なんですけど、「調べる」というよりは「調査に乗り出す」とかはどうですか? 推理小説風に。
ポンデ おもしろね。「調査に乗り出す」とかね。
ハムエッグ あぁ、でも、どうだろう、これはこれでまた仰々しくなりますかね。
ポンデ そう言われてみれば、そうかもしれない。
ハムエッグ ポンデさんの言ったシンプルさを信条とするなら、「全部」というのを「すべての」という風に和らげるくらいでちょうどいいのかもしれないですね。
ポンデ ここまでくると好みの問題になってくるとは思うけど、君の指摘は理に適ってると思うよ。それでいくかい?
ハムエッグ 合点承知です。
改定案 私たちは細心の注意を払って、すべてのグラスを調べ始めた。
 
26 Ripeto: avevo cercato apposta un bicchiere infrangibile identico ai nostri del servizio.
繰り返そう。私たちの持っている一式のグラス と同一 のグラスをわざわざ探してきたのだ。
ハムエッグ まずこの「一式のグラス」という表現は15のところで打ち立てた原則に従えばいいわけですよね。
ポンデ まぁ、そういうことになるね。「割れるグラス」とすればいい。だけど、ここはちょっとややこしいことを言ってる場所だよね、グラスグラスとうるさいのは避けたいところだ。僕らはああいった法則をこさえたけれど、原文ではあくまでグラスという単語を使ってないわけだから。ここでは「私たちの」ぐらいタイトな言葉で処理したいな。
ハムエッグ なるほど。さくっといけますね。あと、「同一の」が硬いですよね。
ポンデ 硬いね。言い換えるとすれば?
ハムエッグ 「そっくりの」。
ポンデ 「瓜二つの」。
ハムエッグ 「一糸違わぬ」。
ポンデ 「寸分違わぬ」。
ハムエッグ 古今東西みたいになってますやん。
ポンデ ごめん、つい興が乗ってしまって。この辺で打ち止めとしよう。君はどれが良かった?
ハムエッグ 最初に言った「そっくりの」が一番無難じゃないですかね。
ポンデ 確かにね。採用しよう。ところで、さっきも出てきた「わざわざ」(apposta)なんだけどね、僕はやっぱりこれにこだわりたいんだ。
ハムエッグ どんな風にですか?
ポンデ 彼には自信があるわけだろう、自分の買ってきたグラスは絶対に他のと区別がつかないってことに。だから、いくら努力したってそうそう簡単に見つかるものじゃないということが言いたい。そのための念押しだよ。
ハムエッグ そのためにも、「わざわざ」は目に付く状態にしておきたいということですね?
ポンデ そういうことだね。
ハムエッグ それなら、頭に持ってきましょうか?
ポンデ だったらね、もうひとつ注文があるんだけど、主語を入れられないだろうか? 「私はわざわざ」という具合に。
ハムエッグ 僕はくどいかなと思って省いたんですけどね。
ポンデ いや、そのくどさが大事なんだよ、ここは。自分の功績は高めておかないと。彼はそういう男さ。自信を示すためにも、彼の存在を前面に押し出したいね。
ハムエッグ なるほど。でも、そうすると、直後に「私たちのとそっくりのグラス」という表現があるんで、「私」とか「私たち」とかやかましい感じがしてきますね。
ポンデ そこなんだよ。何かいい案ないかな? 「元のとそっくりのグラス」としては駄目かな? 駄目だよね。
ハムエッグ 不安げな口調ですね。うーん、原文はi nostriですからね。かけ離れてますよね。
ポンデ そうだよね…。
ハムエッグ ところがどっこい、「元のと」でもいいと思いますよ。最近イタリア語で作文してて指摘されたのは、イタリア語は同語の反復を避けなければならないというセオリーがあるということです。
例えば日本について説明してる文章だと必然的に Giappone (日本)という言葉が何度も出てくる。その繰り返しを避けるためにどうするかというと、文脈に沿って「日本」を示す言葉に置き換えるんですよ。 il paese (その国) la patria (祖国) Sol levante (日出ずる国)とか。日本が主語に来る場合はもちろん動詞が三人称になってるから削れますよね。

このセオリーを『割れないグラス(仮)』に適応させると、指摘されてましたが、 bicchieri (グラス)の反復を避けるために i nostri (私たちの)としてるわけで、要はグラスをさせる言葉ならなんでもオッケーなんですよ。こんな考え方どうでっしゃろ?

ポンデ なかなか言うじゃない。賛成だよ。きみの伊作文も叩かれ損じゃなかったわけだ。
ハムエッグ 叩かれてもぜんぜんオッケー。いらっしゃいませですよ!
ポンデ あまりやけにならないでね。
改定案 繰り返そう。私はわざわざ元のとそっくりの割れないグラスを探してきたのだ。
 
ハムエッグ 今回は今までに比べると割と小ぢんまりした分量になりましたね。
ポンデ まぁ、キリも良かったからね。たまにはこういう日もあっていいさ。
ハムエッグ お疲れさまです。
ポンデ また次回もよろしく。
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